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2016-07-01 15:08:00

高校生や受験生だったころ以来の、ラジオの力をあらためて見なおしています。

 

最近の朝のNHKラジオだったと思いますが、リスナー(母親)が、今日は雨が降るからと、たまたま自分の女性用の傘を小学生の息子に持たせたそうです。その日、息子がびしょ濡れで帰ってきたが傘のことは何も言わず、やはり女物だったことが恥ずかしかったのかと思っていたそうです。

 

すると翌日、可愛らしいお嬢ちゃんが傘を借りたお礼を言いに来たそうです。その傘を広げると陽に干した匂いがしてきて、少女の家の空気も伝わってくるようだという内容でした。一瞬一瞬の視聴率狙いの過激なテレビでは決して味わうことができない、「ラジオならではの温もり」でした。この子は小学何年生だったのか、もし私だったら傘をさして「小さな恋人」を家まで送っていったであろうか。

 

これはもうかなり前のことになりますが、西日本のある大学の医学生(医師?)が、中学校に進学(他校への転校?)したときのこと。

当日までまったく内緒にしていたが、小学校の同級生たちが新しい学校の正門前に集合して彼を迎え、入学する彼のことをよろしくと温かく見送ってくれたそうです。さらに同級生の一人が新しい学校の朝礼の場に立って、彼の病気ことを語ったと思いました。彼は難病で、日光に当たると大変危険な状態になってしまうことから、いつも特別な服装、恰好をして身を守らなければなりませんでした。

 

彼の担任の先生が立派な教育指導を行ったので、周りからのイジメやからかいに対し、クラス全員で彼を支えて守ったといい、今でもみんなで集まっているそうです。このことは以前にも一度書きましたが、「ラジオ深夜便」でこの放送を枕元で聴きながら、私の目がしらが熱くなりました。今もこうして書いていてもまた涙ぐんでしまう・・・この教師にこの生徒たち、これぞ学校教育の神髄だと思います。

 

これは数日前のことです。

「3つのオレンジへの恋」に男女6人の中学生がやってきました。六人分・・・修学旅行生かと思われたので、集合時間が迫っていないか尋ねると、なにやらムニャムニャ言っているのです。

頼んだのはデザートひとつだけで、バイトの女子も困っているので、私は、社会勉強のためにと、心を鬼にして、お店は公共スペースではないので、一応一人ひとつで注文お願いしますよ。お小遣いも大変だろうから今日はいいけど、今回の旅行の反省材料としてよく考えてねと言いました。

 

申すまでもなく「3つのオレンジへの恋」の美味しい食事、快適なスペース、水の提供等のサービスに至るまで、すべてはお客さまから頂く料金で成り立つもので、家賃、光熱費、人件費、材料費、設備代金など諸経費を賄っているのですから、社会の仕組みを学んでもらわなければなりません。

 

しかし結局、彼らが注文したのはアイスクレームブリュレ二つだけ。

「美味しい!」というひとことは聞こえてきましたが、何故か終始ニコニコしている子もいるのにシャイなのか、みな禁じられたように言葉を発しないのです。

 

このとき、敢えて学校名は聞かなかったが、県名だけは聞いてみました。

わたしは「オープンキャンパスで早稲田に来たらまたお出で」と送り出しましたが、どうも腑に落ちないところもある。もしや障害・ハンディのある生徒たちではなかったかと。そうであれば社会のマナーとは別に、いたわりの精神も必要だ。しかし付添いの先生もいなかったし・・・ウ~ン。

 

このことをNHKのラジオに投稿したら、M県でも放送されて、あのときの生徒たちにおじさんの思いや気持ちが伝わるだろうか。

やはり学校名を訊いて置けばよかったのか・・・。

 

 (お知らせ)

   申し訳ありませんが、7月1日は臨時でお休みさせていただきました。

   都合により来週半ば6~9日もお休みの予定ですので、よろしくお願いいたします。

   

 


2016-06-25 11:37:00

雨上がりの午後のひととき、ふだんは登ることはできない大隈記念講堂時計台の鐘楼、塔屋(屋上)に初めて登りました。

「予想外が待っている!」(今回芸術週間のキャッチコピー)

高さ38メートル━━青空の下、体験したことのない位置から見渡す大学キャンパスの景色は目に優しく、山の頂のように爽やかな風が吹きわたっていて、何とも言えない幸せな気分になりました。つい先ほどまで雨が降っていたことを思えば本当にラッキーでした。

 

早稲田大学文化推進部主催の早稲田芸術週間「ミュージアム ウイーク」の企画のひとつ、「薮野健(先生)と巡るキャンパスもミュージアムツアー」でのひとときのことです。

 

この日、観客のいない大隈講堂のステージにも初めて立ってみました。

居眠りしているとすぐわかるくらいに座席全体がよく見えて、二階席も手がとどくかと思われるほど近くに感じました。全体から細部にいたるまで大隈講堂のすべてが「早稲田建築」の粋なのです。

 

この日は先生のご案内で、大学の歴史的建物や文化財、校内各所に展示されている薮野先生の大作絵画を拝見、先生が描いた西洋の建物の重量感や質感に圧倒されました。先生は独学で絵画技術を習得されたそうで、小中高と美術部に所属したものの独学では極められないと思ってあきらめた私は唸ってしまいました。

 

「絵画の表層だけを見ないで内面を見なさい。自分の感じたところを表そうと思えば技術は後からついてくるものです」という趣旨を述べておられましたが、薮野芸術の神髄なのだと思いました。

 

昨年だったと思いますが、やはり早稲田芸術週間の企画で、薮野先生による「早稲田大学の未来を描く」(タイトルは私の記憶)というイベントがありました。

 

小野記念講堂のステージ上、コンペで選ばれた7~8人の学生がそれぞれアイデア発表するのを聴きながら、先生はその内容を即座に大型の用紙に漫画風イラストで描き上げてゆきます。大隈講堂などお馴染の大学の建物あり学生本人の似顔絵ありで、ときには先生自身の言葉も織り込みつつ完成してゆく様は、まるでマジック・名人芸を見るように楽しいものでした。

 

大学構内で校舎を描いていた先生を偶然お見かけしたこともありました。

以前、「3つのオレンジへの恋」に来ていただいたことがあったので、私が話しかけると、先生の代名詞である空の青が燃えるような水彩画を仕上げながら、気さくに応えてくれました。芸術家だからなかなか気難しい方ではないかと思っていたのですが、偉ぶることもなく大変心優しい方で、どんなきっかけだったか、作曲家や指揮者について暫し楽しく音楽談義をすることもできました。

 

今回のツアーでは予定の一時間を大幅に超過しましたが、薮野先生が描いた、珍しいイタリア製のオートバイやレトロなアメリカ製高級車、有名な慶応大学図書館の水彩画なども見せて頂き、あらためて多彩なご才能を知り、作品を堪能し、お人柄に敬意を表する一日となりました。

 

この日は、学生時代には味わうことのできなかった貴重な体験、勉強ができました。薮野先生、そして文化推進部の皆様、素晴らしい企画を本当にありがとうございました。

 

 


2016-06-06 13:28:00

6月4日は、臨時でお休みさせていただき、お見えになったお客様には大変申し訳ありませんでした。

 

この日は「虫歯予防デー」だそうで、現在、虫歯治療中の私は、歯科医院の椅子に座りながら、子供時代のことをいたく反省しています。

 

「卒業記念文集」を中心に思い出をつずった、小学校担任の鴻巣静代先生は、毎週、一人一人に口を開けさせて歯を磨いたか検査をしました。

 

「文集」のなかの「先生の横顔」というコーナーで、「鴻巣先生」を担当した編集委員の生徒(1~2年のときに同級だった女子の、おそらくHさん)によれば、「先生はやさしくて、きれい好きで、私達にも筆箱や下じきをきれいに洗ってくるようによくおっしゃいます。又、手や足のつめや歯の検査を、毎週しました」。自分の席で靴下を脱いで、先生が来るのを待った記憶が蘇ります・・・靴下を履くと見えにくい足の爪先、切ってないこともあったなあ。

 

寝坊助で朝が弱かった私は、歯磨きをサボることが多かった。

「磨きました」

小さな嘘を、先生はすぐに見破ったことだろう。しかしいつも注意することはなく、次の生徒に移ってゆくと、ホッとすると同時に少し後ろめたさが残ったものでした。

 

当然、私は虫歯になって歯医者さんに行くものの、院内に響く治療器具が上げる高音が怖くて、ついに放置したまま大人になってしまいました。そのつけが今来て、偉く高いものになってしまいました。

 

皆さんも歯の手入れにはくれぐれもご注意ください。

 

 


2016-06-02 13:08:00

男子生徒5人がオムライスを食べにやってきました。

秋田県大館市立比内中学の3年生で、修学旅行だそうです。中学、高校とも京都や奈良の寺社を回った我々「東京勢」は、見学コースの多様性に驚かされますが、早稲田大学にも山ほどの「歴史」があるので、大いに勉強になることと思います。

 

私の両親が能代市出身だったので「秋田」と聞くと嬉しく、グループの中にいた、いかにも雪国秋田らしい色白の少年の姿も好ましく思えました。

歓迎の意を込めて、店内に早稲田の校歌や応援歌を流しましたが、彼らはまだ聴き馴染んでいなかったかもしれません。

母の母校である女学校が統合された能代商業高校は、2011年夏の甲子園では、スター選手がいなかったにもかかわらず、三回戦まで進出。保坂投手はじめ選手たちは秋田県勢として本当に良く頑張ったよね。

 

この日は、以前,HPに書いた「凄い妹」のお兄さんもやってきてくれました。

今年の入学式の日(法学部)、彼の妹さんがお母さんと一緒に来店したのですが、その落ち着いた態度、ていねいな言葉遣いに、私がすっかり感心してしまった、 その子のお兄さんでした。彼は、入学試験の日、一人でやってきたのですが、とても好感度が高かったそうで、家内が、きっとその男子がお兄ちゃんだよと言っ ていたとおりでした。しっかりした妹さんは小学校六年生だということで、とても楽しみなご兄妹です。

 

店内に早稲田の校歌・応援歌が流れていたこの日、当店と深いつながりがある応援部チアリーダーのおー人が、そのお母さんと見えて、とても楽しい一日になりました。

 

OBと思われる男性が、一緒に見えた女性に「4年間、六大学野球の優勝がなかった」と話していたので、私は思わず「自分たちもそうだったんですよ。しかも入学前年の秋と卒業直後の春 に優勝した『前後賞』なんです」と言うと、83年の卒業で10年後輩にあたるその男性もまったく同じパターンで、そんな「不運」は自分たちだけかと思っ ていたので驚きました。その日は三重県の稲門会の集まりでやってきたとのことでした。

 

春の早慶戦があった土曜日、客席から「早稲田は五位だから・・・」という会話が聞こえてきた。

女子7名の若々しいグループは、大学生には見えなかったので熱心な早稲田ファンなのかと聞いてみると、早稲田学院本城高の2年生でした。

彼女たちは「集合写真」を撮ってから、オムライスを食べ始めた途端、「やばい!」と言うと、それまで雀の合唱団のようだった席が急に静まりかえってしまいました。2年後に、大学生としてやって来たときには、是非「大盛り」でどうぞ!。

 

早慶戦も終わり6月がやってきました。

今シーズンは冴えなかった早慶両チームでしたが、秋には神宮球場は熱い応援で盛り上がっていることでしょう。

 

 


2016-05-26 17:42:00

「ミルクをのみましょう」というタイトルの、「ミルク給食のしおり」が出てきました。

 

世田谷区教育委員会が作成したもので、昭和34年4月時点の健康データが載っていることから、その翌年か翌翌年、私が11歳頃の物と思われます。

 

実家が戸建てであったために収納スぺースに恵まれていたのと、母が、私のこども時代のものを大切に取っておいてくれていたため、ほかにも懐かしいものがまだいろいろと出てくると思います。我が「歴史遺産」です。

 

「しおり」は、タテが約15センチ、ヨコ30センチ余りで、コーヒー色の表紙で、三つ折りの両面には文字や写真、図表などを使って「ミルク」の優れた栄養が実にていねいに説明されています。当時の世相や学校給食の一端、こどもの健康状態を知ることができる、けっこう貴重な資料ではないかと思います。ここで言うミルクとは脱脂粉乳ミルクのことです。

 

脱脂粉乳とは牛乳からクリームを分離した残りの脱脂乳を凝縮して、乾燥粉末にしたもので、これを液体乳にしたものは、たんぱく質や乳糖、カルシウム、ビタミンB2などが生牛乳よりも豊富だと、そこに書かれています。

 

給食当番は、なかなか楽しいものでした。

少し早く授業を抜け出せるのもうれしく、それぞれが頭に白い三角巾を被って、小さなエプロンをつけて調理室に向かうと、モワっとした温かな空気が漂ってきます。カレーの日やうどんの日にはすぐにわかります。

 

私が給食で好きだったのは定番のヤキソバ、カレーライス、ウドン、ワンタン、ネットによれば「ソフトめん」と言っていたらしいスパゲティなどで、おかわりができるとうれしかったものだ。クジラ肉のカツや竜田揚げも美味しくて大好きだった。 揚げパンも「主役」のように美味しかったが、後の人気メニューのハンバーグはまだ登場していなかった。なにしろ、昭和44年に入学した早稲田大学学食の定食ハンバーグは、型押しで作られたソーセージのようだったのだから、「マクドナルド」の日本上陸が衝撃だったはずです。

 

一方、学校給食で、不動の不人気N0.1は脱脂粉乳ミルクでした。

「ミルク」とはいうものの、「牛乳」とは別物の独特の匂いと味がして、まるで罰ゲームのようでした。「しおり」には、50~60度の温度だとおいしく飲めるとあります。不味いから最後に飲むと冷めていて最悪で、多くのこどもが初じめに「片付ける」ようになった。バターを加えたり、コーヒー味にしたりと、給食室のおばさんやお姉さんも工夫をしてくれて、少しずつ飲みやすくなったように思いました。

 

当時、美味しくて大好きだった「雪印スキムミルク」も脱脂粉乳だというのですが、その味の差は雲泥どころではありませんでした。戦後間もない当時、脱脂粉乳は、飼料にもならない大量の物資の処理に困ったアメリカから押し付けられたと言われていましたが、「善意の押しつけ」だったのか・・・。

 

「しおり」の写真には、あのころ調理場で見かけたミルクのミキシング器具や温める大きな二重釜、教室まで運ぶポット、金属製のお椀が載っていました。

 

「ミルク」を教室まで運んだ容器は、カレ-やうどんを入れた把手のついた大きな容器であったのか、「しおり」の写真のようなポットであったのか・・・脱脂粉乳のムッとする独特の匂いは、給食調理室の湯気や食べ物の入り混じった匂いとともに、今でも我々世代の記憶に残っています。

 

いま、「3つのオレンジへの恋」では、多くのお客様に「美味しそうな匂い!」と言われ、「美味しい!」{おいしかったね」と、問わず語りに聞こえてきます。

 

それにしても 、都教育委員会の教育長や委員を任命する立場の「舛添君」は一体!

桂歌丸さんにひとこと言ってもらいたい。

「坊や、あんな大人には・・・」

 

 


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