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2017-05-19 10:20:00

「ここのオムライス美味しいんだよ」

「ここ気になるんだよね」

こう言いながら、男女の学生たちが「3つのオレンジへの恋」の前を、毎日通り過ぎてゆきます。

 

そんなある日のこと、いくつもの山を極めた、大ベテランの山男がやってきてくれました。

オムライスが好きで、以前から“名峰“「3つのオレンジへの恋」には気が付いていたそうですが、ようやくたどり着いてくれたのです。

 

「太陽から生まれたトマトソースオム」を美味しく召し上がっていただきながら、早稲田出身の山男であるのだと。

市井の山岳会に所属して多くの山に登り、創文社発行の月刊誌「アルプ」に山紀行の随筆を寄稿していたそうです。

 

私はその山岳団体の名称に記憶がありました。

「獨標(どっぴょう)登高会」という、なかなか忘れがたい名で、その方によれば、当時「遭難」すると、必ず自分の「山岳会」で救難にあたったため、ニュースにもよく出ていたとのことでした。(「“独標“ どくひょう」だと思っていましたが、氏から「どっぴょう」と読むのだと教わり、字体は氏の文中「”獨“標」と記載されていました)。

 

「アルプ」誌の執筆者には、こどものころ、教科書にも掲載されていた串田孫一さんや深田久弥さんをはじめ、錚々たる方が名を連ねていましたが、25年目の昭和58年、300号の節目で廃刊したそうです。

 

私は、高校時代の丹沢塔ヶ岳表尾根縦走と、大学生の時の尾瀬 至仏山Iが、登山らしい登山で、ほかはハイキング程度だが、山は好きで、新田次郎の山岳小説もよく読んだとお話すると、その方はご自分の随筆をまとめられた一冊の本をプレゼントしてくれました。

青い空に雪の八海山の写真が載った立派なケースに収まった、重量感のある全308ページの本には、「つむじまがりの山登り」という書名がついていました。

 

新人3か月目、二十歳のときに滑落して奇跡的に一命をとりとめた登攀から、そろそろ年齢的な限界を感じ始めるまでを描写した一冊の本ですが、書いた年代が違うため、「用語」「用字」が違うことを大変気にされていたことに、「素人」とは異なる矜持を見た思いでした。

 

「この本はすっと読めてしまうと思うが、文章は分かり易くなければいけない」。

「無駄を削る」・・・せっかく書いたことを省いてしまうのだから残念だが・・・。

「特別な言葉使いや個性的な表現は一つの文章で一か所くらいあれば十分」

「石原慎太郎の登場以来、芥川賞作品も文学界もすっかり変わってしまった・・・」

 

氏はみずから出版社を立ち上げた、編集・出版のプロで、私は氏のレベルにはとても及ばないが、最近はブログなどを書きながら同じ思いを抱いていました。

私は石原作品以降の新しい文学・小説の流れについて、語る資格はまったくありませんが、映画も、ある時点からジェットコースター感覚となり、ただせわしなく、香り立つ「ロマン」が失われた気がします。

 

私が石原作品で読んだのは「秘祭」と・・・忘れもしないのは、高校のときの「記念祭」の舞台で、「狼生きろ豚は死ね」という、坂本龍馬の最後を描いた作品に、クラス一丸となって取り組んで大成功したこと。これは若き日のわれらのよき記念碑となりました。

 

「アルプ」掲載の随筆をはさんで、「青年期の山」から「老年期の山」とへと書かれたご本を拝読させていただきましたが、確かに読みやすくスラスラ読み進んでしまいます。

山の用語など知識があるかと聞かれましたが、新田次郎さんを読んでいるので、たまには不明の言葉がでてくるものの察しはつきました。漢字は一応自信はあるつもりですが、ごくまれに読めない文字もひとつふたつ。

 

早稲田の国文と史学の二つの学科を卒業された「山男」は、無教養な荒くれではなく、「知の男」でありました。

ところが、さらに私は、氏がジャズマンであることを「発見してしまった!のです」(ナイツの塙さんの言い方)。

これは驚きでした。

 

「アルプ」に寄稿され、出版社を経営するという「山男」を検索してみたところ、「つむじまがりの山登り」についてのコメントと一緒に、氏はジャズマンでもあり、神保町フェスティバルでジャズバンドに加わって演奏していると、ネットの記事にあったのです。

 

神保町は、私のサラリーマン時代、竹橋にあった商社(本社)や神田錦町の別館に近く、身近な街でしたが、山や文章のことを淡々と語られるご様子からは、ジャズ演奏について想像もつきませんでした。

 

記事には「浅草のジャズ酒場でも演奏」とあったので、もしもその「酒場」が、私の商社営業時代に、泣く子も黙る?「浅草おかみさん会会長 富永照子さん」から教えてもらった「ハブ」であったならば、感慨もひとしおです。

 

つぎにまた「山男」、いえ「ジャズマン」にお会いするのが楽しみになりました。

 

(付記)

つい先日、BSテレビの「日本百名山」で、「浅草岳」が紹介されていました。

私は、この山の名や沢の名前など、なじみがなかったのですが、毎年、残雪期に30回以上登りつづけたという「つむじまがりの山登り」さんの二つの文章で「ガイド」をしてもらっていたので、映像も身近に感じるものがありました。

もちろん番組は危険を伴う厳冬期ではない、穏やかな初夏で、360度のパノラマ、高山植物の可憐な花、大きなブナの木の美しい森が印象的でした。

 

 


2017-05-04 15:44:00

新学期が始まったと思ったら、すぐにゴールデンウイークの連休がやってきました。

「3つのオレンジへの恋」は8日から営業開始です。

 

「好客万来」の「3つのオレンジへの恋」。

 

先日は元早稲田大学女子バスケット部で、今は私立の名門女子大学に勤めておられる女性、Sさんがやってきてくれました。

先日、チアリーダーだったAさんの結婚式2次会でお会いしたときには、どこかでお会いしたことがある、誰かに似ているのかとも思いました。

 

この日、あらためて訊いてみると、女子バレーボールの木村沙織さんに似ていると言われるそうで、お化粧しなくても可愛いいところ、ちょっと素朴感があって好感のもてるところ、全体のイメージ・・・私もそうだと思いました。

 

Sさんの在籍中に、全日本大学選手権で優勝したそうですが、箱根駅伝、六大学野球、ラグビーなど「早稲田の顔」の種目に比べ、とりあげられ方が少ないのは惜しいことです。

 

 「3つのオレンジへの恋」では、「早稲田大学スポーツ新聞」が撮影したスポーツ写真を飾っていますが、次回は絶対に「女子バスケ」の写真も展示させていただきます。

 

 

同じ日、制服もま新らしい早稲田中学の男子五人組がやってきました。

その一人は、各テーブルの「交換ノート」にしきりに目を通していました。

 

入試の日、父親とやってきて、「明日は合格発表、合格したらまた食べに来ます!」と書いていました。当方の手違いにより、このノートを「引き上げてしまっていた」ので、見つけられなかったのです。

彼もほかの4人も初々しく、礼儀正しくて感心しました。

今度来たら、この「合格祈念ノート」と是非「再会」してください。

 

 

一方、日頃、その調査力・論評に敬服している秦 郁彦さんが、読売新聞「時代の証言者」に連載中の記事の中で、氏が編纂された「日本近現代人物履歴事典」掲載3000人のうち、わずか二人について、その没年月日が不明だと書かれていました。

 

一人は「例の事件」であまりにも有名な「阿部定」で、秦野さんは学生時代に、浅草の居酒屋で仲居をしていた本人に会ったことがあるそうです。「事件」がとりあげられるときには、美人であったと、つねに語られますが、秦さんの感想はどんなだったことでしょう。

社会世相に大きな衝撃を与えたこの女性の没年が、今も不明であるとは意外なことでした。

 

 

不明のもう一人が、「KDD事件」で当時大きな問題となった「板倉さん(仮名)」でした。

実は「板倉さん」は私の父の郵政省時代の上司だったので、私は二度お会いしていたのです。

 

最初は、父が仙台郵政局に単身赴任していたときで、中学の夏休みに父の職場を訪問し、東北六県を管轄する「局長」に、ご挨拶させていただきました。

そのとき「板倉さん」は、私の父のことを、「心臓に毛が生えている」と評してくれました。

私は中学生の若造ではありましたが、相好をくずされていた氏の表情から、父は男として最上のお褒めの言葉を頂いたのだと思いました。

 

二度目は私の就職活動のときのことで、父の薦めで、KDD 国際電電の副社長になられていた「板倉さん」のところにご挨拶に行ったのです。

幸か不幸かKDDにはご縁がなく、私は総合商社に勤めましたが、その6~7年後、「KDD事件」という、日本中を驚かせた一大汚職事件が発覚し、社長になっていた「板倉さん」は失脚、最高裁でも有罪判決(執行猶予)が出て、お辛い晩年を送られたのではとお察しします。

 

ある日、テレビニュースや新聞が「板倉さん」死去を伝えたとき、「KDD事件」のこともあらためて報じられました。奥様が逝去された際にも、「事件」とともに報道されたはずで、これだけの「公人」の没年月日が不詳であることに少々驚きました。

秦さんによれば、「個人情報保護法」により公的情報がほとんど使えなくなったそうで、いろいろ考えさせられます。

 

「高文組」ではなかったものの、周囲から慕われ、誠実に職務を勤めあげた父の名が載る「元郵政部在職幹部名簿」には、「板倉さん」の輝かしい経歴が掲載されていましたが、掲載者全員、「死没」についての記載はないようです。もし秦さんがこの資料を必要とされるなら、ご協力させていただこうと考えていますが、「読売」の今回の記事で、既に反響・手がかりがあったのではないかと思っています。

 

新しいできごと、過去から蘇ってきたこと、「3つのオレンジへの恋」は本当に「千客万来」です。

 

 


2017-04-25 16:40:00

広告や看板などの言葉や文字は、チラと見ただけだと見間違えることがあります。

「心霊 〇〇 会場!?」

円山応挙の幽霊絵画や国内外の心霊現象・写真などを調査分析して、その研究成果を発表する大会であろうか?

少し引かれる。

 

ここ早稲田大学では、一年中、ありとあらゆるセミナー・学会や講演会などが開催されます。

 

東洋大学の創始者である哲学者井上円了は「妖怪博士」として有名なのですから、早稲田で、真面目な「心霊学会」があったとしても決して不思議ではありません。

そういえば最近あまり見ないが、いっときブームのようになった心霊現象や超常現象。

 

何年か前には、ある女子学生が、お母さんがよくUFOを目撃するとのことで、家の庭先に飛来するのを自分も何回も見たと、ごく当たり前のように且つ真剣に話していたこともありました。やはりうかがい知れない何かがあるのか!

 

世の中にはいろいろな「学会」があるのだと思いました。

しかし今回は、よくよく見れば、案内看板には大学の春の定期健診のひとつ、「心電図 検査 会場」と書かれてありました!

 

「幽霊の正体見たり!枯れ尾花」現象だったのです。

 

「3つのオレンジへの恋」目の前、「心電図検査会場」 である27号館のツツジは、目も鮮やかにこれからいよいよ盛りを迎えるところです。

 

なおGW中 4月28日~5月7日まで お休みとさせていただきますので、宜しくお願い致します。

 

 


2017-04-12 13:18:00

聴くたびに歴史と旅愁を感じる「鉄道唱歌」。

先日、BSテレビでこの曲を取り上げていました。

二人が競作したので曲が二種類あることは知りませんでしたが、テンポ、リズム感、親しみやすさなど一般に知られている方に軍配です。

 

「鉄道唱歌」の歌詞は、何と全6集374番まである(!)ことも驚きですが、この日は「第1集 東海道編」で新橋から熱田駅までが紹介されました。

 

一つ一つ詠みこまれている歌詞の意味や背景は、大人になった今もすぐにわからない部分があるが、番組ではひとつひとつその意味を解き明かしてくれ、大いに啓発されたものでした。日本古来の歴史や風物、当時の近代日本の様子を、親しみやすさの中にも格調を保ちながら、簡潔に且つ雄弁に語っている作詞の技法にあらためて感心しました。

 

番組の終わりの方、31番で歌われたのは、「家康のふるさと」の地である「岡崎」でした。

家康が桶狭間の戦いの後、命からがら逃げ込んだというゆかりの寺、八丁味噌と幼い日の秀吉ならではの機転の秘話など、見どころ逸話がいっぱいでした。

 

「岡崎」といえば、このHPとリンクしているブログ「オムライス屋さんのお話し」に載せている、「絵本 わたし美術館」の作者の一人、今春、教育学部を卒業した女子Sさんの「ふるさと」でもあります。Sさんのおかげで岡崎の地が急に身近になりました。

今度見えたら、「鉄道唱歌」やこの番組の感想を話しをしてみようと、楽しみにしています。

 

文明開化の時代、西洋からいち早く鉄道を導入し、当時の様子を「鉄道唱歌」というかたちの「文字と音楽」に遺したことは、最新の新幹線に至る高度な鉄道技術とともに、世界に誇れる日本の宝だと思います。

 

一方で、ミッキーやドラエもん・キティちゃんで「やった」ように、長年の技術開発の結晶である、あの流線型の独特の車体デザインをパクったり、まるで大失敗をしでかした子供のように、一刻も早く目の前から「証拠」を消し去ろうと、事故車両を地中に埋めてしまった国もありました・・・「鉄道唱歌」の作詞者である大和田建樹さんは天上で何を思ったことでしょう。

 

 


2017-04-04 16:00:00

入学式の二日目。

去年卒業した応援部 吹奏楽団のOB・OGのメンバーがやってきて、4年間、静岡三島から通った女子のSさんほか、懐かしい顔を1年ぶりに拝見できました。卒業後も仲の良いみなさんを見るのは嬉しいことです。

 

この日の夜には、応援部チアリーダーAさん(旧姓)の結婚式二次会に夫婦で招かれました。

このようなことは初めてで、喜んで出席いたしました。

Aさんのお相手も関西学院大学応援部の出身で、会場は圧倒的に若い皆さんでいっぱい。数少ない我々「年長組」は、顔見知りの大学職員や女子バスケット部出身の若いOGのSさんとお話をしていました。

 

来賓の結婚式スピーチやパフォーマンスが盛り上がる「新郎新婦」の双璧は、「キャビンアテンダントの航空会社」と、「大学の応援部」ではないかと思います。

 

私の家内の縁に当たる娘さんがCAであったので、結婚式のときには、航空会社の制服姿に着替えられたCAさんが、「業界用語」を取り入れながらこやかに「客室アナウンス風」のスピーチ、会場はしばし機内にいるかのような、快適な雰囲気に包まれたものです。

 

この日は、Aさんのご主人の関学はもとより、早稲田応援部の現役・卒業生のリーダーやチアたちが、華やかな「ステージ」を繰り広げ、若さあふれる「豪華応援部ショー」を楽しませてくれました。友情の司会進行は、「ビッグベアーズ・チアステージ」でもお馴染のMさん、そしてSさんが。

 

お聞きしたところでは、花嫁Aさんのお父さんは、愛娘の結婚にひどく落ち込んでいるとのことですが、 現役時代から、我々「早稲田の父と母」を慕ってくれ、二次会にお招きいただいたチアリーダーAさんに感謝し、末永いお幸せを祈念いたしております。

 

家内が一日12時間働きづめだと漏らした激務。

三日間続いた入学式の最終日、前夜までの疲れも今日までと気力を振り絞って望みましたが、最後に意地の悪い落とし穴が・・・。

 

この日は理工学部系で、例年は文科系の二日間に比べ来店ペースはゆるやかなのですが、この日の殺到は文字通りのラッシュアワー状態になってしまいました。「新歓」の部員がやってきてくれたことも影響しました。

 

最後の二組は、それぞれ40分、30分お待たせすることになり、「ベテランオーナー」である私も、お待たせしているという負い目も加わって、正常な判断力を失ってしまい、不手際も重なってしまいました。

 

その二組は、食事をすませると、不愉快そうに帰ってゆかれましたが、こちらもすっかり意気消沈です。先月の卒業式に続いた”ヘビーローテーション“に、重い疲労感が残りました。

 

オムライスはひとつひとつ製作するので、麺類のように量産がきかないために、店内が満席状態のときに来られた方は、順調でも20分はお待ちいただくようになってしまいます。ごはんが切れて、急きょ焚かねばならない時には、こちらのハラハラ、ストレスもピークに達します。このときがそうでした。

 

お疲れだろうと、まずは席に着いていただくのですが、お客様の「イライラ タイマー」はそこから始まり、当方の申し訳ないという思いも加わって、焦りが焦りを呼び、ごくたまにですが、予想もしない最悪の方向にエスカレートしてゆく日が、どうしても出てきてしまうことがあります。

 

私も、サラリーマン時代のときなど、30分以上待った時の、何とも言えない気持ちを思いだし、このふた組にはあらためて申し訳ないと思いました。

 

「3つのオレンジへの恋」

なかなか得られない喜びと、チョッピリ辛さと悲しさと。

 

 


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