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2017-06-14 14:01:00

初めて聴いても懐かしさを感じるメロディーを、ホルンが朗々と奏する。

「魔弾の射手 序曲」。

”快速“の「フィガロの結婚 序曲」や、”闘牛士“の「カルメン 前奏曲」と並んで、親しみやすい名曲です。

 

「魔弾序曲」と勇壮な「狩人の歌」は小学校5~6年のときに音楽の授業で聴き、すっかり魅了されました。演奏時間の「短さ」がちょうどよいのか、「狩人の合唱」は子供の頃にはよくラジオからも流れていて、ドイツロマン派の作曲家ウエーバーの細長い顔と名前も覚えました。

 

ドイツの暗い森の雰囲気を漂わせる歌劇「魔弾の射手」は、 ワーグナーの音楽に大きな影響を与えたといいます。後に私がワーグナーを好きになった伏線はこの曲にあったようです。「狼谷」の不気味さ、かきたてられる不安感は、映画 「ハリポッター」の音作りに通ずるものを感じます。

 

「魔弾序曲」で、曲が終わったかのような休止の後に、いきなり「グア~ン」とくる衝撃は、ハイドン先生の典雅な「驚愕シンフォニー」の比ではありません。続いて演奏される胸躍るメロディーはエレガントで、ミュージカル音楽と言ってもよいほどノリがよく軽快です。

 

「こんにちは赤ちゃん」が流行っていた当時、父と秋葉原まで行って買ってもらったポータブルプレーヤーで、サバリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団演奏の「序曲」と「狩人の合唱」も収められていたドーナツ盤レコードを、繰り返し聴いたものでした。

 

私にとってクラシック音楽とは、つねに鑑賞するものであり、そこから何ものにも代えがたい心の充足と感動を得るのですが、6月4日の第76回定期演奏会で、早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の学生のみなさんは、この「魔弾の射手」を、そしてレコードでは何故か「運命」とカップリングになっていることの多い「未完成」と、雄弁なソロバイオリンが必要でスケールの大きな「シェラザード」とを、易々と演奏してしまうのだから「驚愕」です。

 

指揮をされた松岡 究さんに、往年のN響指揮者ローゼンストックさん(この人は厳しかったようです)の面影を感じたのは、燕尾服姿のせいか、はたまた私の思い違いだろうか。

 

私の小学校の同級生にはバイオリンを習っていた女子がいたし、中学でもピアノを学んでいた女子がいた。二人のその後はわからないが、早稲田大学交響楽団や早稲フィルの皆さんを見ていると、同級生だった彼女たちのその後の「音楽人生」思うことがあります。音楽学校に進学しなくても、早稲田に入学し、立派に交響曲や管弦楽を演奏している・・・そういえばあの二人も成績がよかったなあ。

 

今春の「第九」では、早稲フィルと早稲田大学混声合唱団が見事な演奏を披露してくれましたが、この日、早稲田大学グリークラブが「狩人の合唱」を歌ってくれていたら、もう一回アンコールだなあ。

 

水島先生、良い演奏をいつもありがとうございます。

 


2017-06-02 15:25:00

久しぶりに顔を見せてくれた男性Nさんは、アルコールが入ると「わけアリ」になった商社時代の先輩の「ご学友」です。Nさんの方は、アルコールが入っても「わけアリ」にはなりません。

 

NさんがゼネコンH社に勤めていたとお聞きし、またH社での名簿作成の話が出たので、ある女性の名前が載っていないか、調べていただくようお願いしました。学生時代の英会話教室で一緒だった方で、青山の本社で受付をしていた彼女を、友人と「表敬訪問」したこともありました。最近、受付嬢を置く会社を見ることはまずありませんが、会社の大事な「顔」でした。

 

当時の女性は在職期間の短いケースが多く、その名簿作成時にはもういなかったかもしれませんが、一足先輩たちの職場姿を垣間見たのは、学生時代の懐かしい思い出です。

 

様々な年齢・職種の社会人と学生らが集ったその英会話教室は、いつも和気あいあいで、アフタースクールのお茶会も楽しみでした。

H社受付をしていた彼女を、英会話教室の若い外人男性講師が「ファン=好き」になり、私と、もう一人の男子学生とで有形無形の協力を惜しみませんでした。お茶会の後には、お茶の水駅近くの彼女の自宅まで、その外人講師に「付き合って」一緒に送っていったり、グループでスキーツアーに行った楽しい思い出も。男子学生の下宿に泊まり込んでは一緒にお酒を飲んだ、南アから来たあの講師は今どこにいることだろう・・・。

 

Nさんを知ってから10年以上たつと思いますが、実は、戦前の代表的な航空機メーカーN飛行機の一族だと、初めて教えてくれたのは、最近テレビで、この会社や、群馬県太田の「本家」の大邸宅が紹介されたことが理由のようです。

 

太平洋戦争時の戦闘機や艦船のファンだった私は、Nさんが話すその番組を「見たかった」と思い、途中から「いや たしかに見たぞ!」に。

 

冒頭部分こそ見逃しましたが、チャンネルを切り変えたとき、画面はハワイ真珠湾攻撃の映像で、お馴染の「零戦」や「97式艦上攻撃機」の雄姿が映っていました。

 

Nさんから話を聞いて、私が店の奥から出してきたのは、購入しておいた日本海軍の傑作機「紫電改」のダイキャストモデルです。外装のケース箱には、”日本海軍最後の荒鷲” 局地戦闘機 川西(機体メーカー)「紫電改」と記載され、「誉」というN社製高性能エンジンを搭載していました。

 

その「紫電改」が登場し、三船敏郎さんや加山雄三さんが出演した東宝映画「太平洋の翼」(1963年)を見たときには、特撮の航空機の場面になるとワクワクしたものです。

当然NさんはN飛行機の「作品」はよくご存じかと思っていたが、スピットファイヤーに似ている「飛燕」の名もすぐには浮かばないようで、プラモ作りや雑誌「丸」を愛読していた私の方が詳しいようでした。

 

━━私が小学生だった頃、若き日の三遊亭小金馬さん司会による「陸と海と空」というテレビ番組がありました。プラモデルメーカーの「マルサン社」がスポンサーで、小金馬さんが解説し同社製品を紹介するのです。「紫電」の後継機「紫電改」を取り上げたときに強調していた高性能さと、特徴のある機名と、零戦に比べややずんぐりとした機体が印象に残っています━━。

 

この日、チャンネル切替え時の、真珠湾攻撃映像のナレーションは、戦況や戦果よりも、「N」というメーカー名、軍用機やエンジン性能の優秀さが強調され、すわ!航空機にスポットを当てた番組かと期待したのですが、画面はN家の家屋やご一族の映像に変わりました。

 

それは「昭和の名家」(シリーズ)という番組で、たまたまこの日は「N家」についてだったのです。

日本が誇る航空機やエンジンのメーカーであったNさんのご本家について、何とか拝見できました。再放送があれば、今度は最初からじっくりと拝見したいものです。

 

日本が敗けなければ、N飛行機は世界的な一大航空機メーカーになっていたはず・・・。

 


2017-05-26 17:10:00

 

(速報)

ここに記載させていただいた「ハワイからのご婦人」(R子さん)からご連絡をいただきました。

直近のブログ「オムライス屋さんのお話」~「ちょっと違うでしょ!」についてのご感想でした。

 

拙文では禁煙・嫌煙への思い、「禁煙ジャーナル」と主宰の渡辺文学さんについてふれました。

何とこのR子さんは、日本の禁煙実態を調査・研究したことがあり、「ジャーナル」も文学さんもご存じだとのことで、世の中は何と狭いものかと驚かれたそうです。

 

本当に!

R子さん、今日は土曜なので、早速来週、文学さんに「驚きと喜びのご報告」をさせていただきます。

初対面だったのに、あらためてハワイにお招きいただきとても嬉しく思っています。、若い頃だったら喜んでハワイに飛んでいったなあ・・・。

 

 

(以下がこの回の本文です)

 

フィギュアスケート国際大会で、あどけない笑顔で微笑み、会場も審判団も視聴者も、すっかり魅了してしまったのは村上佳菜子ちゃんでした。

 

5月のある日の午後、「3つのオレンジへの恋」に、ニコニコしてやってきた一人の女性がいました。

 

誰だろう?以前やってきて、忘れていたら失礼かと、一生懸命思いだそうとしたが分からない。

 

ほかにお客様のいない時間帯。会話を交わしたところ、ハワイマウイ島 からやってきた初対面のご婦人(日本人)で、気さくで社交的な方でした。

 

北海道大学の経済学部で1年間学び、成績優秀者の「特権」で法学部に転部され。ハワイのロースクールで履修して米国の司法試験に合格したという才媛です。

 

現在はハワイの裁判所で書記官をされているそうで、これから早稲田大学の先生に会いに行かれるとのことでした。

 

ハワイに住みたいと言っていたご両親も移住してきて、今はフルーツ園やカフェも営まれているとか。ハワイは魚も食べ物も美味しく、ご近所づきあいも楽しく、とても過ごしやすいところだそうです。

いいなあ・・・日本人にとっては、いつまでも「憧れのハワイ航路」です。

 

彼女は、「法律家」にありがち?な気難しさはなく、フランクでお話し好きで、ハワイに来たら是非寄ってくださいと、空港からタクシーに乗っての道順まで教えてくれました。ハワイの裁判所では、笑顔ではいられない「刑事」担当だそうですが、あの人懐こい「笑顔」に、またお会いしたいものです。

 

(後記)

「ハワイの偶然」はかさなるものです。

最近の出来ごとから、ブログ「若きフラガール」も是非ご覧ください。

 


2017-05-19 10:20:00

「ここのオムライス美味しいんだよ」

「ここ気になるんだよね」

こう言いながら、男女の学生たちが「3つのオレンジへの恋」の前を、毎日通り過ぎてゆきます。

 

そんなある日のこと、いくつもの山を極めた、大ベテランの山男がやってきてくれました。

オムライスが好きで、以前から“名峰“「3つのオレンジへの恋」には気が付いていたそうですが、ようやくたどり着いてくれたのです。

 

「太陽から生まれたトマトソースオム」を美味しく召し上がっていただきながら、早稲田出身の山男であるのだと。

市井の山岳会に所属して多くの山に登り、創文社発行の月刊誌「アルプ」に山紀行の随筆を寄稿していたそうです。

 

私はその山岳団体の名称に記憶がありました。

「獨標(どっぴょう)登高会」という、なかなか忘れがたい名で、その方によれば、当時「遭難」すると、必ず自分の「山岳会」で救難にあたったため、ニュースにもよく出ていたとのことでした。(「“独標“ どくひょう」だと思っていましたが、氏から「どっぴょう」と読むのだと教わり、字体は氏の文中「”獨“標」と記載されていました)。

 

「アルプ」誌の執筆者には、こどものころ、教科書にも掲載されていた串田孫一さんや深田久弥さんをはじめ、錚々たる方が名を連ねていましたが、25年目の昭和58年、300号の節目で廃刊したそうです。

 

私は、高校時代の丹沢塔ヶ岳表尾根縦走と、大学生の時の尾瀬 至仏山Iが、登山らしい登山で、ほかはハイキング程度だが、山は好きで、新田次郎の山岳小説もよく読んだとお話すると、その方はご自分の随筆をまとめられた一冊の本をプレゼントしてくれました。

青い空に雪の八海山の写真が載った立派なケースに収まった、重量感のある全308ページの本には、「つむじまがりの山登り」という書名がついていました。

 

新人3か月目、二十歳のときに滑落して奇跡的に一命をとりとめた登攀から、そろそろ年齢的な限界を感じ始めるまでを描写した一冊の本ですが、書いた年代が違うため、「用語」「用字」が違うことを大変気にされていたことに、「素人」とは異なる矜持を見た思いでした。

 

「この本はすっと読めてしまうと思うが、文章は分かり易くなければいけない」。

「無駄を削る」・・・せっかく書いたことを省いてしまうのだから残念だが・・・。

「特別な言葉使いや個性的な表現は一つの文章で一か所くらいあれば十分」

「石原慎太郎の登場以来、芥川賞作品も文学界もすっかり変わってしまった・・・」

 

氏はみずから出版社を立ち上げた、編集・出版のプロで、私は氏のレベルにはとても及ばないが、最近はブログなどを書きながら同じ思いを抱いていました。

私は石原作品以降の新しい文学・小説の流れについて、語る資格はまったくありませんが、映画も、ある時点からジェットコースター感覚となり、ただせわしなく、香り立つ「ロマン」が失われた気がします。

 

私が石原作品で読んだのは「秘祭」と・・・忘れもしないのは、高校のときの「記念祭」の舞台で、「狼生きろ豚は死ね」という、坂本龍馬の最後を描いた作品に、クラス一丸となって取り組んで大成功したこと。これは若き日のわれらのよき記念碑となりました。

 

「アルプ」掲載の随筆をはさんで、「青年期の山」から「老年期の山」とへと書かれたご本を拝読させていただきましたが、確かに読みやすくスラスラ読み進んでしまいます。

山の用語など知識があるかと聞かれましたが、新田次郎さんを読んでいるので、たまには不明の言葉がでてくるものの察しはつきました。漢字は一応自信はあるつもりですが、ごくまれに読めない文字もひとつふたつ。

 

早稲田の国文と史学の二つの学科を卒業された「山男」は、無教養な荒くれではなく、「知の男」でありました。

ところが、さらに私は、氏がジャズマンであることを「発見してしまった!のです」(ナイツの塙さんの言い方)。

これは驚きでした。

 

「アルプ」に寄稿され、出版社を経営するという「山男」を検索してみたところ、「つむじまがりの山登り」についてのコメントと一緒に、氏はジャズマンでもあり、神保町フェスティバルでジャズバンドに加わって演奏していると、ネットの記事にあったのです。

 

神保町は、私のサラリーマン時代、竹橋にあった商社(本社)や神田錦町の別館に近く、身近な街でしたが、山や文章のことを淡々と語られるご様子からは、ジャズ演奏について想像もつきませんでした。

 

記事には「浅草のジャズ酒場でも演奏」とあったので、もしもその「酒場」が、私の商社営業時代に、泣く子も黙る?「浅草おかみさん会会長 富永照子さん」から教えてもらった「ハブ」であったならば、感慨もひとしおです。

 

つぎにまた「山男」、いえ「ジャズマン」にお会いするのが楽しみになりました。

 

(付記)

つい先日、BSテレビの「日本百名山」で、「浅草岳」が紹介されていました。

私は、この山の名や沢の名前など、なじみがなかったのですが、毎年、残雪期に30回以上登りつづけたという「つむじまがりの山登り」さんの二つの文章で「ガイド」をしてもらっていたので、映像も身近に感じるものがありました。

もちろん番組は危険を伴う厳冬期ではない、穏やかな初夏で、360度のパノラマ、高山植物の可憐な花、大きなブナの木の美しい森が印象的でした。

 

 


2017-05-04 15:44:00

新学期が始まったと思ったら、すぐにゴールデンウイークの連休がやってきました。

「3つのオレンジへの恋」は8日から営業開始です。

 

「好客万来」の「3つのオレンジへの恋」。

 

先日は元早稲田大学女子バスケット部で、今は私立の名門女子大学に勤めておられる女性、Sさんがやってきてくれました。

先日、チアリーダーだったAさんの結婚式2次会でお会いしたときには、どこかでお会いしたことがある、誰かに似ているのかとも思いました。

 

この日、あらためて訊いてみると、女子バレーボールの木村沙織さんに似ていると言われるそうで、お化粧しなくても可愛いいところ、ちょっと素朴感があって好感のもてるところ、全体のイメージ・・・私もそうだと思いました。

 

Sさんの在籍中に、全日本大学選手権で優勝したそうですが、箱根駅伝、六大学野球、ラグビーなど「早稲田の顔」の種目に比べ、とりあげられ方が少ないのは惜しいことです。

 

 「3つのオレンジへの恋」では、「早稲田大学スポーツ新聞」が撮影したスポーツ写真を飾っていますが、次回は絶対に「女子バスケ」の写真も展示させていただきます。

 

 

同じ日、制服もま新らしい早稲田中学の男子五人組がやってきました。

その一人は、各テーブルの「交換ノート」にしきりに目を通していました。

 

入試の日、父親とやってきて、「明日は合格発表、合格したらまた食べに来ます!」と書いていました。当方の手違いにより、このノートを「引き上げてしまっていた」ので、見つけられなかったのです。

彼もほかの4人も初々しく、礼儀正しくて感心しました。

今度来たら、この「合格祈念ノート」と是非「再会」してください。

 

 

一方、日頃、その調査力・論評に敬服している秦 郁彦さんが、読売新聞「時代の証言者」に連載中の記事の中で、氏が編纂された「日本近現代人物履歴事典」掲載3000人のうち、わずか二人について、その没年月日が不明だと書かれていました。

 

一人は「例の事件」であまりにも有名な「阿部定」で、秦野さんは学生時代に、浅草の居酒屋で仲居をしていた本人に会ったことがあるそうです。「事件」がとりあげられるときには、美人であったと、つねに語られますが、秦さんの感想はどんなだったことでしょう。

社会世相に大きな衝撃を与えたこの女性の没年が、今も不明であるとは意外なことでした。

 

 

不明のもう一人が、「KDD事件」で当時大きな問題となった「板倉さん(仮名)」でした。

実は「板倉さん」は私の父の郵政省時代の上司だったので、私は二度お会いしていたのです。

 

最初は、父が仙台郵政局に単身赴任していたときで、中学の夏休みに父の職場を訪問し、東北六県を管轄する「局長」に、ご挨拶させていただきました。

そのとき「板倉さん」は、私の父のことを、「心臓に毛が生えている」と評してくれました。

私は中学生の若造ではありましたが、相好をくずされていた氏の表情から、父は男として最上のお褒めの言葉を頂いたのだと思いました。

 

二度目は私の就職活動のときのことで、父の薦めで、KDD 国際電電の副社長になられていた「板倉さん」のところにご挨拶に行ったのです。

幸か不幸かKDDにはご縁がなく、私は総合商社に勤めましたが、その6~7年後、「KDD事件」という、日本中を驚かせた一大汚職事件が発覚し、社長になっていた「板倉さん」は失脚、最高裁でも有罪判決(執行猶予)が出て、お辛い晩年を送られたのではとお察しします。

 

ある日、テレビニュースや新聞が「板倉さん」死去を伝えたとき、「KDD事件」のこともあらためて報じられました。奥様が逝去された際にも、「事件」とともに報道されたはずで、これだけの「公人」の没年月日が不詳であることに少々驚きました。

秦さんによれば、「個人情報保護法」により公的情報がほとんど使えなくなったそうで、いろいろ考えさせられます。

 

「高文組」ではなかったものの、周囲から慕われ、誠実に職務を勤めあげた父の名が載る「元郵政部在職幹部名簿」には、「板倉さん」の輝かしい経歴が掲載されていましたが、掲載者全員、「死没」についての記載はないようです。もし秦さんがこの資料を必要とされるなら、ご協力させていただこうと考えていますが、「読売」の今回の記事で、既に反響・手がかりがあったのではないかと思っています。

 

新しいできごと、過去から蘇ってきたこと、「3つのオレンジへの恋」は本当に「千客万来」です。

 

 


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