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2016-12-03 16:47:00

「美味しかったです」

早稲田は20年ぶりだという、満足そうな表情のOGからのうれしいことば。

 

近々行われる、南門通り商店会主宰の「第二回ポスター展」。

広告研究会の各グループが、それぞれ店を担当。

「3つのオレンジへの恋」担当の1年生の男女が「取材」にやってきた。

去年はまだ高校生だった二人は、幼さを残して、こちらが嬉しくなるほど若い。

 

入り口に展示している、昨年のポスター展の作品はとても良い出来栄えだったが、「投票」で選ばれた3作品は、「ユーモア賞」に方寄っていて、「3つのオレンジへの恋」や、ほかのいくつかの優れた作品は残念ながら無冠に。

今回はきっと何か賞をとってくれるであろうと、期待。

「3つのオレンジへの恋」には素敵な「物語」がある。

 

今日は、高校1年生だというさわやかな女学生と若いママ。

これからキャンパスツアーにゆくのだとか。

また早稲田に、きっとやって来るよね。

「3つのオレンジへの恋」に。

 

間もなく年一回の、私の高校クラス会の日。

広告研の彼らには文字通り正真正銘の昨日だが、67歳のいま、大学時代も遥か遠い昔のことになってしまった。

それでも高校どころか中学・小学校の日々さえ、つい昨日のことのようにも思える。

白髪と老眼が、もう若くはないのですと告げている。

また一つ年が過ぎゆく。

 

 


2016-11-21 12:20:00

早稲田祭の二日間、今年も嵐のような営業が何とか無事に終わりました。

相変わらず空き缶やゴミ類で街を散らかしてゆく輩はいましたが、早稲田祭運営スタッフの清掃担当をされたみなさんご苦労様、そしてありがとうございました。

 

「3つのオレンジへの恋」では、今年もまた入れない方が出てしまいました ━━ 入れないといえば、あれは開店2年目か3年目(2003年か04年)の、復活したばかりの早稲田祭の日のことです。

私の方は第二の人生で思いがないオムライス屋さんを始めたばかりで、まだ運営に慣れていませんでした。

3名ほどの女子学生が見えたとき、あいにくの満席状態でその旨を告げたのですが、そのうちの一人は・・・ファッション誌のモデルのようにおしゃれで美しい方でしたが・・・本当に座れる席はないのかと店内を厳しい目で見回ったのです。「私は絶対この店に入ってオムを食べたいのだ」という、強い意思・オーラを全身から発していました。

 

当時の私は、長居の方に「そろそろ」と客席に声をかける勇気もなく、結局、この女子たちはあきらめて出てゆきました。

「3つのオレンジへの恋」に、いろいろと思いを寄せてくれる方はいらっしゃいますが、後にも先にもこれほどの意気込みで入りたいという思いを表してくれた方はなく、申し訳ないやらありがたいやら、とても残念やらでした。少し待っていただければとも・・・。

 

それ以来、早稲田祭や入学式、卒業式などの混雑日には思い切って声掛けをするようにしています。そのようなときにはどうぞご理解、ご配慮のほどお願いいたします。

 

尚申し訳ありませんが、都合により今週の25日(金)と26日(土)の二日間 臨時でお休み させていただきますので、宜しくお願い致します。

また翌週からは寒い時期の「名物 石焼きオム」 がお待ちしています。

 


2016-11-14 15:15:00

鳥取県出身のフリーアナウンサー上田まりえさんは、子供の頃、誕生日になると家で好きな食べ物を3つ注文できることになっていたそうです。しめ鯖が大好きだった上田さんはいつもしめ鯖と卵焼き(もうひとつは忘れました)にしていたそうですが、しめ鯖はほかの姉妹には大変不評だったと。

 

私も子供の頃からしめ鯖は大好物でしたが、昭和20年代後半から30年代にかけて、まだまだ物流や店舗の冷凍システムなどがお粗末な時代でしたから、時には食あたりや、じんましんが出たこともありました。そのために父はしめ鯖を買わなくなりました。

 

それでも私は今でも好きで、ビールのつまみにときどき買うのですが、最近のしめ鯖は技術が進歩し過ぎて、化学工業製品のようで、真空パック品は味付けが不自然に濃く、刺身の方も自然でなく不気味な青緑色に照り輝いています。

 

昔ながらの鯖の缶詰の方にも当たり外れがあって、不味いのに当たるととても食えたものではありませんが(こんなものを売っていいのか!)、当たりだと思って一瞬美味しいと思ったものでも、口にすると歯ごたえはなく、ケーキのように口の中で溶けてゆきます。

 

きっと上田さんには、親元から安心安全で美味しい鯖のオシ寿司などが、クール便で送られてくることでしょう。私は「3つのオレンジへの恋」でバイトをする女子学生から、たまに地方・地元の名物名産品を頂くことがありますが、美味しいもののある地元のある方が羨ましい。

 

以前目にしたネット記事で、上田さんと同じように元日本テレビのアナウンサーだった古閑陽子さんの親しい女子アナに、上田さんと脊山麻理子さんの名があがっていたように思いました。

 

その古閑さんが早稲田の学生時代から大好きだったのは「3つのオレンジへの恋」の特製オムライスです。

しめ鯖の美味しさがわかる上田さんも是非食べに来られては。

上田さんなら、合成添加物や化学調味料の強い味でごまかしていない(当店に見えたお客様の言葉)「優しい味」がきっとわかるはずです。寒くなるこれからは 「名物石焼きオム」 の季節です。

 

鳥取の新鮮な鯖から作った「上田家」のしめ鯖もさぞや美味しかったことでしょう。

 


2016-11-04 15:10:00

有名作家であっても、ときとともに忘れられてゆくのでしょうか。

 

この秋、小野記念講堂で行われた「小川未明文学賞25周年記念フォーラム」は補助イスが必要なほどの大盛況でしたが、すぐ横のワセダギャラリーの「小川未明と早稲田の児童文学展」を訪れる人は少なかったとお聞きしました。

観客の多くは、大変な感動を呼んだ鍵田真由美さんのフラメンコ「赤い蝋燭と人魚」が目的で、未明童話の読者だった年配組はどうやら少数派のようでした。

 

一方、当代きっての人気作家綿矢りささんと堀江敏幸早稲田大学教授の、芥川賞作家同士による講演会「私と図書館」の方も、国際会議場に収容しきれない人のために、別室に映像を流すほどでした。中央図書館もたまたま開館25周年に当たり、早稲田に入ったのは綿谷さんの作品を読んだからという、若い女性ファンの姿が多かったのが印象的でした。

 

太宰治全集を愛読したという綿矢さん。

在学中は、大学図書館の広い中央階段で密かに「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレットの気分にひたっていたことなどを語っておられました。最近になってこの日の対談内容が「早稲田ウイークリー」に掲載されました。講演会場にいたものの、聞きとれなかった部分や忘れていた内容も多く、あらためて振り返ることができました。

 

ほかは建て替えられているのに、エレベーターもない教育学部の校舎は「歴史的な建物」としてこのまま保存されるのだろうかと、綿谷さんは複雑な胸中を、けっこう率直な言葉で語っていました。

昭和44年に私が法学部に入学したころ、教育学部のこの校舎だって古めかしい8号館よりよほど新しく、立派に見えたものでしたが・・・。

 

お二人による講演会が開始するまで、スクリーンにはスライドで「早稲田の図書館の歴史」が紹介されていました。

東京専門学校開校時の写真風景は、我々の学生時代、すでに立派な「過去の歴史」でしたが、私の在籍した時代に普通の景色としてあった「安部球場」が取り壊されて、現在の中央図書館が建設されからて四半世紀。

我々世代ももう十分に「歴史」の一ページ組になったのかもしれません。

 

大学ではいよいよ明日から早稲田祭です。

若い方にも、年配組にも

美味しいオムライスが待っています。

(混雑時にはお席の譲り合いを、よろしくおねがいします)

 

なお11月7日(月)は お休み させていただきます。

 

 


2016-10-27 18:05:00

大隈講堂に「人間国宝」小三治師匠を迎えた夜、ゆったりと、独特の「間」をもつ名人芸に、詰めかけた客は酔いしれました。

 

しかしこの日「前口上」に続いた前座話しの中で、いきなり出てきた「平林さん」という名前を耳にした瞬間、私の耳がビクッと反応して、何か心がザワザワするのを感じたのです。

 

字の読めない奉公人と、読めないのに知ったかぶりをする「大人」たちが「平林」の読み方を巡って面白可笑しく展開してゆく。

客席の中には「平林さん」が何人かいたかもしれないし、知り合いもいたことでしょう。しかし何度も繰り返された「平林」という名前を聞くたびに、笑いながらも感慨に耽っていたのは、客席の中で私だけではなかったか・・・。

 

その二日前のホームカミングデー「稲門祭」の日。

招待年次にあたっていた、高校美術部の女子の先輩、荻村さん(旧姓仮名)が「3つのオレンジへの恋」にやってきてくれました。高校のOB会組織が十分整っていないこともあり、実に半世紀に近い時を経ての対面でした。荻村さんが訪ねて来られたのは、以前私が「平林さん」について書いたブログがきっかけでした。

 

私の書いた「平林さん」は平林和幸さんといい、荻村先輩とともに私の1期上です。平林和幸さんは武蔵大学でフランスの詩歌・文学・絵画を専攻され、同大学学長に就任されましたが、退任後の平成14年1月に亡くなられました。

ニュースで伝えられた訃報を見て、高校の先輩とお名前が一緒だと思った私は、ネットの「高校OB名鑑」を見てようやく「その平林さん」だとわかったのです。

 

高校時代の部活・美術部では平林さんの代の男子4人はとても仲がよく、部室に顔を出すといつもワイワイと賑やかで、絵を描いているところを見たことがありませんでした。私は部活や高校時代の思い出についてブログに書きましたが、平林さんのことを知って、追悼の気持ちであの頃の青春の一コマを書いたのです(14/5/23付ブログ 「先輩 平林和幸さんのこと」)。

 

荻村先輩はこの追悼ブログを見てくれたのでした。私の高校時代の担任で、静岡大学教授になられたものの、87年に53歳の若さでお亡くなりになった黒羽清隆先生の記事もご覧になってくれていました。

 

2年の時に転校してきた荻村さんはおっとりして可愛らしく、同期と言ってもよいくらいに先輩ぶらず、我々下級生の間でも人気がありました。ほかならぬわが美術部に入ってくれたことを感謝したものですが、その方と再会できたのですから、それはそれは嬉しいことでした。

 

私は追悼番組の映像で平林学長を拝見しても、高校時代の「ヒロヒロ」先輩だとわからなかったのですが、私に話しかけてこらた荻村さんは、その瞬間にすぐにわかりました。清楚なイメージはそのままに、自然で、美しく歳を重ねておられました。

 

この日荻村さんと一緒に見えたお友達とで座った席には、たまたま早稲田スポーツ新聞による女子バレーボールの写真が飾ってありました。そのお友達はそのバレーボール部員だったそうで、またもや偶然と必然の不思議を考えさせられることになりました。

 

お名前に関連してもうひとつ不思議なことが。

実は私のキーのひとつに「荻村さんのお名前」が入っているのです。

キー固有の暗証番号を忘れないよう、数字に合わせたネーミングをつけているのですが、その数字の並びは荻村さんの「ファーストネーム」以外、私には考えられませんでした。

私は毎日キーの番号を打ち込む度にそのお名前を思うのです・・・どうしておられるのだろう・・・そのご本人が突然嬉しいお顔を見せてくれたのです。

 

「平林さん」を巡るこの度の一連のできごとは、私にとってちょっとした奇跡ではないかと思っています。