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2013-09-11 16:10:00

9月に入りさすがに少なくなりましたが、熱い夏の名残か、セミの声はまだ聞こえています。

しかし、今年はツバメの姿をついに見かけなかったような気がします。

多くはないが蝶は見ましたが、トンボも少なくなりました。

一方で、たくましく生きるコウモリの飛ぶ姿を見かけます。

 

早稲田大学界隈では元早稲田実業高校、現「研究開発センタ-」校舎の解体工事が始まり

ました。早実高校生だった王貞治選手が通い、早稲田の長い歴史の一角を刻んだこの校舎。

 

私は、4年間続いた戦後ベビーブーム最後の年の昭和24年生まれ。

史上最多となった受験者数は毎年増え続け、年ごとに更新されてゆく競争倍率に今更

驚くことはありませんでしたが、学園闘争のあおりで東大の入試が中止となったことで、

早稲田の受験者数増加と難易度アップに一層の拍車がかかった年がありました。

 

もはや受験は「競争」ではなく、「戦争」だ!。

「受験戦争」という言葉ができ、定着したのもこの時代だと思います。

 

試験会場は大学の教室だけでは足りず、早実の教室まで動員されました、

昭和44年、私が法学部を受験した時の試験会場がこの早実高でした。

 

もし合格しなければ自分の高校とさして変わらない教室・・・とても寒い日でストーブが

1台・・・コートを着たままで、寒々としていたその教室での大学受験はいやだと思いましたが

如何ともしがたい。

 

幸いに合格し、いまは大学の施設となっているその校舎と、自分が通った法学部の校舎とを

結ぶ街路・・・個人的には大変意味のある路・・・の傍で偶然に「3つのオレンジへの恋」を構えた

ことは、その場所を借りることとなったのには、自分の力の及ばない何かの力が働いているように

思えました。

 

 

2002年に店を構えて早や11年。

その間に当時の、思い出の法学部の校舎は取り壊されて、往時の面影を残しながら現在の

校舎に生まれ変わりました。

 

長らく、店の前で古びた工事用の仮囲い、万年塀に囲まれていた旧第一学生館跡地には、

「早稲田大学建学の母」と称される偉人、小野梓を顕彰した小野梓記念館を収容している、

大学院法科研究所の校舎が建った。

 

そして店の正面から目をやれば、法科大学院校舎の解放通路の向こうに、小野梓胸像の

視線が見つめている大隈講堂前の広場と大銀杏を望むことができる。

 

いまはまだ緑の葉をいっぱいにつけた大銀杏の葉は、いながらにして季節の移ろいを知らせ

てくれます。

やがて今年もみごとに黄金色に葉を輝かせて、銀杏の実をつける季節がやってくるのです。

 

このあと、何年かの後に、早実高跡地にはどのような校舎が建つことであろうか。