インフォメーション

2013-04-16 18:55:00

昭和44年、早稲田の法学部、当時は第一法学部のフランス語クラスに入りました。

クラスの中で少しずつ仲間が形成されてゆき、学部全体でもまだ貴重な存在だった

クラスの2人の女子も仲間になりました。

 

ひとり、体格がよく声も大きい、えらく元気な男も加わりました。

「青年」というよりオジサンふうだったので、みんな二浪か三浪かと思っていたが、

同じ一浪だった!。

 

早稲田の地で育った彼が、みんなで箱根山に行こうと云い出しました。

丁度いま頃の時期でした、

日帰りか、一泊旅行でゆくのかと思ったら、すぐ近くにあるというのです。

居合わせた仲間数人で、彼の後についてゆきました。

 

以下「」内は早稲田出身の大作家である井伏鱒二の名文です。

 

「・・・牛込の戸山学校の裏手に、箱根山といって樹木の鬱蒼と茂った小高い山があった。

 東京市内で一ばん高みの場所で、代々木の大きな一本松のてっぺんと同じ標高だと

云われていた」。

 

「ぐるりが街だが、そこだけ 深邃な地域のままに残されていた。早稲田鶴巻町の

下宿周旋屋の主人は、箱根山には狢や雉や沢蟹がいると云っていた。私は狢は

見なかったが、小さな地震のとき森で雉が鳴くのは聞いた」。

 

 「昔、このあたりは尾張徳川家の下屋敷地内であったという。・・・・・

箱根山は東海道五十三次の箱根山になぞらえて、庭園の一部としていたものだそうだ。・・・」

 

井伏鱒二は、取材のために学生時代から 数十年の後にこの地を訪れたが、その変貌ぶりに

驚いたことが記されている。

そして、「箱根山の森は附近の群小の森の総元締のような存在で・・・

早稲田の森の総帥であった」と書いています。

 

箱根山が「私学の雄」ならぬ「早稲田の森の総帥」だとは、文豪ならではの表現です。

 

その規模は随分小さくなったことでしょうが、 箱根山はいまなお真夏の猛暑日であっても

近くを通れば、冷房のように空気がヒンヤリとし、往時と変わらぬ一端を垣間見せています。

 

                             (参考:井伏鱒二著 『早稲田の森』)