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2013-03-29 11:43:00

卒業式も終わり、つぎは入学式を待つばかりとなった、ここ早稲田大学。

入学式で思い出すのは、やはり大学のとき、そして初めて学校というところに通うこととなった、世田谷にあった区立小学校のときのことだ。

 

早稲田大学に入って両親は喜んでくれ、片道2時間かけて入学式にも、そして卒業式にも二人そろって参列してくれた、

入学式では当時の時子山(とこやま)総長の訓辞や、有名な校歌「都の西北」の演奏を生で聴いて、私よりも両親が、喜びを新たにしてくれたことだろう。

 

家に近かった小学校は、入学するまで、毎日のように校庭で遊んでいたのに、入学式の日にはさすがに少し不安な気持ちで、母といっしょに小学校の校門をくぐったものだ。

担任は、鴻巣静代先生という、眼鏡のお顔が優しい女の先生で、私の母親のイメージに重なる穏やかな方で、ホッと安心したものでした。

 

小学校入学式の式典が終わって、教室に入るのかと思ったら、その日はそのまま校庭だった。

親子そろっての記念写真の撮影をすますと、先生が洟のかみ方を教えてくれた。

まず、ちり紙をきちんと二つに折ってから両手でかんで、つぎにもう一つたたんでから2回目をかみましょとう教わった。

 ちなみに、私の息子はこどものときも、大きくなっても、さらに父親になっても、未だに片手でかんでいるので、困ったものだと思っている。

行儀が悪いから直せと言っても「三つ子の魂」で直らず、このときの鴻巣先生の教えがあればといつも思ったものだ。

 

あのとき、入学式の日に教室に入らなかったのは、当時、ベビーブームといわれ、子供の数が多く、教室が足りなかったせいかもしれなかった。

翌日からは、遅番、早番の登校で、ひとつの教室を二つのクラスで利用していた。

 

昨今は少子化で、都内でも小学校も中学校も統廃合されて廃校となっている。

当時、地方では過疎にともなう廃校がニュースでとりあげられていたが、まさか東京の小中学校が、少子化で廃校になるとは思わなかった。

 

ベビーブームのピークにいた、昭和24~5年生まれの私たちだったが、もうみんな65歳を迎えている。

 20年語、30年後・・・・・いったい世界は、日本は、早稲田はどのようになっていることだろうか。

希望に燃えた1年生が今年もまた。