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2012-07-04 11:00:00

「お父さん、お役所にでかけるよ」

母の声に、ねぇまは「おあっしょ、おあっしょ」と言って玄関に駆けつけます。

私も追いかけてゆきます。

「おみや買ってきてね」

「森永チョイスね」

父は、背広姿で、中折れ帽を被ってお役所に出かけてゆくのが日課でした。

夏には白い開襟シャツ姿でしたが、いつも身だしなみはきちんとしていました。

 

おみやは森永のビスケットやミルクキャラメル、あるときには明治の板チョコであったり、

不二家のミルキーであった。それらのお菓子は、一時であったが父が楽しんでいた

パチンコの景品であったこともあるようでした。

「楽しい幼稚園」や「小学〇年生」といった学習雑誌、絵本や童話のときもありました。

お菓子でなく一寸ガッカリでしたが、すぐに本を開き、楽しみな付録に取り組んだものでした。

 

父が出かけると、母はまず家族の布団をたたみ、あるいは庭の物干しに干す。

後に私は手伝うようになりましたが、両親と、二人の叔母、ねぇまと私の分、

布団や寝具の上げ下げだけでも大変だったと思います。

ある時期までは私のオネショを乾かしているときも。

布団は干すスペースがたりないときには縁側に並びました。

忙しい母の一日の始まりです。

 

ちゃぶ台をたたんでから、家具やラジオ、電球の傘、硝子戸や障子の桟に

ハタキをかけたあと、箒で部屋中を掃き清めます。濡れ雑巾で畳を拭く日もありました。

 

幼稚園や小学校低学年のころ、私が家に帰ると、

母はいつもお風呂場の洗い場にしゃがんで、タライと洗濯板で洗濯をしていました。

ある日、小学校から帰ると、お風呂場を覗いても母の姿が見えません。

家の中を探してもどこにも母は見当たりません。

私は悲しくて泣き出しました。

「おかあちゃんがいない」。

仲のよい近所の桂木さんの家にいるかもしれないと、急いで訪ねましたがいません。

さんざん泣いて、暫くそこにいると、ようやく母が帰ってきました。

ねぇまの小学校の父兄会に出かけていたのでした。

母は、いつも外出するときは予め言ってくれていたのですが、このときは聞いておらず、

母が帰れると思った予定時間よりも遅くなったのか、私の帰りがいつもより早かったのか。

 

私は母の顔を見て緊張の糸が切れて泣き出したのかどうか、覚えていませんが、

女の子が二人いる、品がよくて優しい桂木さんのことを、私は近所のお母さんたちのなかで

一番好きで、よく遊びに行ったものでした。

 

桂木さんは、それから何十年の後に、私の父が他界したときにお悔やみに見えました。

あのときの官舎のひとたちはそれぞれ引っ越して、住所はバラバラになり、

私はそのお母さん、桂木さんとはそれこそ何十年ぶりの再会です。

突然の父の死という大きな悲しみと喪失感のなか、自分は46歳の親となっていたが、

何十年の星霜にも昔の面影を留める桂木さんの優しい眼差しと物腰の品のよさ。

9軒ある官舎の親たちはみんな若く元気で、子供たちが毎日一緒に遊んだあの時代。

ただただ幸せであった少年の日々を思い、桂木さんを車で駅まで送る間、

私は涙が止まることはありませんでした。

「あの時代は自分の宝物でした」。

お母さん仲間では一番お若かったその桂木さんも、10年くらい前にお亡くなりになられたと

お聞きしました。

 

小学生のときに、夏休み課題の写生のために、桂木さんのお母さんに連れられて、

二人の娘さんとともに訪れた目黒自然植物園でのこと。

池の小島と思って足を入れたのが浮き島で、慌てて岸に飛び移りましたが、

そのときに葦の葉で右足ふくらはぎ切ってしまったのでした。

桂木さんは慌てて応急手当をしてくれ、後で両親にお詫びに見えましたが、私の不注意でした。

私のふうくらはぎには今もそのときの怪我のあとが薄く残っています。

 

 

私が中学や高校に通うようになって、夕刻家に家に帰ると、母は「毎日新聞」を広げて、

家庭欄や、趣味である俳句のページを眺めているのが常でした。

母は、クラシック音楽コンサートの記事にも目を通し、若い頃には「毎日音楽コンクール」や、

日比谷公会堂での演奏会によく通い、幼い私もついていった記憶があります。

デビュー当時の中村紘子さんや、後に高名になった多くの演奏家を若いときから見てきたのが

母にとってよい思い出です。

 

母には遅い午後のそのひとときが、買い物や夕支度までのつかの間の憩いで、

私は母と会話をしてから新聞を見せてもらうと、母は立ち上がって家事にとりかかるのでした。

私は主に社会面の記事を読んでいましたが、ときには人生相談欄でよい社会勉強ができました。

 

私が読んだあと、新聞の紙面は折り目がずれたり、シワができたりしますが、

母が読んだあとの新聞は、配達されたとき以上に折り目もきちんとしていて、

それは古紙回収に回すときにも、余計なふくらみもなくピシッと畳まれていました。