インフォメーション

2012-05-17 12:06:00

 

5月5日のこどもの日、私と妻は息子夫婦の家に行きました。

間もなく98歳になる母親も、何とか初めて一緒できました。

 

息子夫婦には、4歳の長男と2歳になる妹の二人のこども。

男の子はご多聞にもれず仮面ライダーに夢中で、妹もまるで弟のように

活発に一緒に遊んでいます。

孫娘は人見知りもようやく収まり、おじいちゃんと慕って来ます。

今は特養のホームに入っている私の母親を交えて4世代がそろいました。

 

私は現在62歳ですが、若い息子夫婦とふたつの小さな命を前にして、幸い健在でいてくれる

私の母親と亡き父のことを思うと深い感慨が湧き起こります。

それは、たとえば毎年繰り返される大晦日や続く新年のように、月日の流れを感じるとともに、

新たな、一寸厳粛な気持ちを抱くことに似ているかもしれません。

二度と帰らない日々は切なく、大切な記憶は失われてゆく哀しみを湛えています。

 

よくいわれますが、自分の子育ては必死で、やがてすぐに反抗期が来ていつの間にか

癒しの日々は過ぎてしまいます。

ついこの間、自分自身が幼な子だった私の息子が父親とは、軽い驚きです。

幼稚園の年中組に通う孫の男の子を見ると、私自身でさえほんの少し前のことの

ようにも思えるくらいです。

 

 

私の二人の子供は年子でしたので、下の息子が生まれるときに、私の両親に長女を預かって

もらいました。

私になついていた、まだ1歳だった長女はハイハイしながら、私が実家から帰るときには泣いて

追いかけました。

やがて今度は、私の母の姿が見えなくなると、泣きながらハイハイで母を追いました。

 

私の両親は長女を預かったことを大変喜び、抱っこしたり、ベビー車に乗せて近所の公園に

散歩に行きました。

よく可愛いいといわれると言っては喜んでいました。

 

ある日、私が実家に帰ると、娘が「オー」と言うので、両親には珍しく乱暴な言葉を覚えたなと

思い聞くと、近所の公園にいるクジャクの鳴き声だとのことでした。

クジャクは何て鳴くのと聞くと、娘は大きな声で「オー」と言うのでした。

やはりマネをしていた鹿の鳴き声をについては、さすがに忘れてしまいました。

 

「ド、ド」というのは屋根のテレビアンテナで、食べ終わった後のブドウの房に似ているから。

両親が一生懸命に、かたことの言葉を覚え始めた娘に教えてくれたんだと思うとジーンとしました。

 

いよいよ実家を去る日には、馴れ親しんだ私の両親と離れる娘が大泣きして、私の母も涙、

涙でした。

その後、家に遊びに来た母が帰る際にはやはり大泣きした娘でしたが、その後は妻の実家に

行くことの方が多く、私の両親とのあれほどの思いも涙も、娘はすっかり忘れ去ったようです。

 

私の子どもたちや孫たちのことを見るにつけ、自分自身、母と亡き父にどんなに慈しみ

育てられたことかと思う。

記憶にはないが両親の親と、そのほかにも叔母たちや身近なひとたちの大きく深い愛情を

注がれていたのだということを、思い知ります。

 

しかし、記憶が残る以前の人生の幼い日々、ひとはそんな大切なことを覚えていないのです。

ひとの記憶というものは一体何歳くらいから形成されるものなのだろうか。

 

画質のよいビデオ映像を繰り返し見ることのできるいまの幼児たちは、昔のこどもたちよりも 

幼い日々の記憶は鮮明に残るのだろうか。

98歳の母親との間で、どうにか会話がなりたっている嬉しさを噛みしめながら思うのです。

 

(続く)