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2017-10-31 18:23:00

月刊少年雑誌は、こどものたからものでした。

「鉄腕アトム」「鉄人28号」・・・連載漫画は、よく1か月間も、続きを待っていたものです。

長嶋茂雄選手も登場した、テレビの華々しい宣伝によって「週刊少年サンデー」が創刊されるまでは・・・。

当初、「少年サンデー」はマンガだけでなく、うたい文句の科学の記事など、けっこう、活字のページもあった「こども向け週刊誌」でした。

 

『少年』『少年倶楽部』『冒険王』『漫画王』・・・学習雑誌の『小学〇年年生』。

予告の期待が裏切られることの多かった、月刊誌の「豪華〇大付録」は、一けた台からすぐに「10大」になり、最後は「20大付録以上」になったのではなかったか。別冊付録のマンガも、とてもうれしかった。

 

私は武内つなよしさんの、少年剣士「赤胴鈴之助」がすきで、『少年画報』のファンでした。

それぞれ、雑誌専属の、笑顔いっぱいの少年少女のモデルが、文字通り雑誌の顔でした。

『少年画報』の表紙は、設楽幸嗣(したらこうじ)少年でした。

おかげで、設楽幸嗣という、難しい名前の読み方を、早くから覚えることができました。

 

先日、「3つのオレンジへの恋」に、サングラスと黒い帽子、黒ずくめでおしゃれな熟年男性と、仕事の関係者と思われる二人の女性がみえました。

みなさん、とても楽しそうに会話をされていて、デミハヤシオムを口にした男声の、「美味しい!」という声も聞こえてきました。

 

音楽談義もされていたようで、やはり、音楽関係の方だろうかと思っていました。

帰り際に、女性の一人から手渡されたコンサートのチラシに目をやると、「設楽幸嗣オンステージ」とありました。

忘れもしません。

「こどものころ、『少年画報」』の表紙で、同じ名前の少年がいましたが・・・」

まさか、同一人物とは思わずに、私が言うと、その男性が、自分がそうですと。

「エーッ!!!」

 

チラシのプロフィールを拝見すると、たしかに「少年画報」の経歴も記載されていました。

何というべきでしょうか! 

愛読していた少年誌の、「表紙モデルだった少年」と、それを「見ていた少年」同士の、およそ60年後の対面でした。

設楽さんは、かつては俳優もされていて、私もテレビや映画の字幕で、その個性的なお名前を目にした記憶が蘇ってきました。

 

プロフィールを拝見すると、今はミュージシャンとして、自ら演奏するかたわら、りりい、アリス、徳永英明をプロデュースされているのだとか。

 

幸い、「3つのオレンジへの恋」を気に入ってくれたようで、是非またお目にかかりたいものです。

店に見えたときと同じ、サングラスにお帽子の、チラシのかっこよい顔写真には、確かに、「少年画報」の少年のイメージがありました。

 

この日は、男子学生が感激の極みで、客席で「美味しい!」と声を上げ、私にもその気持ちを伝えてくれました。

 

続く月曜には、九州の早稲田佐賀高からやってきた3人の学生が、応援に行った「早慶戦」は負けたけど、オムライスの大盛を食べて、喜んで帰ってゆきました。

よかった、よかった。

いずれも、うれしいことでした。

 

 


2017-10-13 17:43:00

先日、法政大学チアの女子4人がやってきました。

「3つのオレンジへの恋」のオレンジカラーが法政と同じだとよろこび、「初めてのオムライス」を目にしては、一段と歓声を上げていました。

 

敬意を表して、法政大の校歌を流すと、さすがに、曲の出だしですぐに気が付き、拳を握りしめ腕を上下させる、おなじみのポーズをとっていました。

早稲田もそうですが、チアの厳しい鍛錬を感じさせない、快活で爽やかな4人に、店の中が明るくなりました。

「校歌」のCDは、六大学の校歌・応援歌を収めたものでしたが、法政にとって、今回、東大だけはちょっと・・・という年だったようです。たしか、あの斎藤祐希投手だって、東大に敗れたこともあった・・・。

 

このとき、教職を目指して、この春、教育学部大学院に進学した、K子さんが、イケメンくん二人を連れてきていました。

K子さんは学部在学中はボート部に所属していた、元気いっぱいのスポーツウーマンで、イケメンくんの一人は、K子さんの高校時代の後輩で、立教大学野球部の選手だそうです。

「3つのオレンジへの恋」は、偶然にも、「六大学」体育会系のムードで盛り上がりました。

 

K子さんに聞くと、当然のことながら、高校時代はついこの前のこと。

かたや、私の方は、高校卒業後、半世紀が過ぎていることに、我ながら驚きます。

 

天候が悪そうで心配ですが、次の日曜日に行われる、第52回ホームカミングデー。

私は、卒業後45年目の招待年(昭和48年卒)ですが、その次はいよいよ最終の50年目を残すだけです。

ホームカミングデーとはどんなものだろうかと、卒業後15年目に初めて参列してから、もう30年が過ぎてしまった・・・・。

青春の日の思いとは遠く隔たった現実に、涙で、「都の西北」が歌えなかったこともありました。

 

若い諸君に、若いっていいなあと、あらためて思った、その日のことでした。

 

 


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