インフォメーション

2017-08-31 13:23:00

「美味し~い!」

「3つのオレンジへの恋」の夏休みが明けたこの日、店内に久しぶりの歓声が戻ってきました。

女子学生なかよし4人組が「夏の日の思い出オム」をひとくち口にして、それぞれが期せずして発したのです。

(そうそう、やっぱりこれが聞こえてこないとね)

 

 

「〇〇屋!」

歌舞伎で欠くことのできない掛け声には難しい仕来たりがあって、素人にはできませんが、「美味し~い!」は素直な心の叫びですから、いつでも、どこからでも、何度でも、まったく問題はありません。

 

大学はまだ夏休み・・・クラス単位の小・中・高では、明日から友や担任の先生に会えなくなると思えば寂しいのに、終わりそうになるとまだ、もう少し続いてほしいと願う・・・。

 

この夏休み中、早稲田大学では研究開発センター(元早稲田実業高校校舎)の解体工事が始まりました。

数年前にも一部校舎が取り壊され、そのあとに スマートエナジーシステム ・ イノベーションセンターのま新らしいビルが建築されましたが、この度はいよいよ主要校舎が解体されます。

 

文字通り「早実の顔」であった、全面に淡い鶯色(緑の稲の色?)のタイルが張り詰められた校舎と門構えとが一体になった、趣きのある景観。いまは仮設の塀に覆われ、窓ガラスにはガムテープが縦横斜めに貼りつめられ、建物のもつ温もりが一気に失われてしまいました。

少し荒々しくなったその外観は、学生時代に吹き荒れた学園闘争の嵐と、過激派が占拠していた校舎の無機質な逆バリケードを思い起こさせます。

 

旧早実高校は、私が法学部を受験した年、大学の教室だけでは足りずに試験会場として使用されましたが、自分の高校と変わり映えのしない教室で大学受験かと思うとちょっと複雑な思い。

 

50人は収まるであろう教室ごとに、受験者が何十人いただろうか・・・安田講堂事件で東大入試が行われなかった唯一の年、戦後ベビーブーマーの受験で史上最高の競争率となり、単純計算上、ひと教室あたりの合格者はほんの数人しか見込めない。実際に、合格者発表掲示板の受験番号は不規則に大きく飛び離れており、あらためてゾッとしたものです。

 

一浪したがともかく合格でき、これからの4年間、受験雑誌の表紙などで見ていた早稲田大学のキャンパスが自分の庭になるのだと思った、1969年早春の日。

 

 

━━2002年の春、思いだにしなかった第二の人生で「3つのオレンジへの恋」を始めた。

以来、早稲田では校舎・建物の建て替えが続き、わが法学部8号館から始まり、商学部・国際教養学部、政経学部、27号館・小野記念小講堂、大隈タワー、文キャン校舎、記念会堂・・・この間、大隈講堂も一大改修工事が行われた。

まるでサグラダ・ファミリア大聖堂のように、早稲田ではつねにどこかで工事が行われており、その変遷ぶりを目の当たりにできたことは、OB冥利につきます。

 

今年は卒業後、早や45年目のホームカミングデーを迎えることになりました。

 


2017-08-18 13:43:00

有名人であれ一般人であれ、顔が浮かんでいるのに名前が出てこないのはもどかしいものです。本人を目の前にして、その名前が思い出せていないときには、さらに神経を使います。

 

先日来店された男性客は私より年配ではあるが、おしゃれで黒々した長髪がお似合いの風貌で、よく声のとおる話しぶり。

 

名前を耳にすれば、ああ!あの映画・テレビドラマや演劇の演出家かプロデューサー、脚本家、はたまた大物製作者かと思いましたが、お尋ねするのも失礼かと思って、ついにお名前は伺いませんでした。

 

「紳士」はデミハヤシオムが美味しかったとご機嫌麗しく、自分は早稲田大ではないが、この日は「お話し(講演?)」をするために来られたといい、また来ますよと言って帰られました。とてもフランクでお話し好きの方でした。

 

誰だろう?

暫くの間気になって、大学のイベントだったならば大学の職員さんによほどお聞きしようかと思ったほどでした。

 

「気になり」もようやく落ち着いたところに、その姿写真が突然目に飛び込んできたのです。

「月間Hanada 9月号」を読んでいたときのことで、見まごうこともないあのお顔で軽く微笑んでいる━━それはラジオ ニッポン放送の高嶋秀武アナウンサーについて書かれた記事でした。

 

高嶋さんは現在75歳で、子供の時からラジオのアナウンサーになりたい、とくにスポーツ実況をしたい一心で、明治大学では放送研究会に所属、難関だったニッポン放送に入社されたのでした。

 

幼い頃から大相撲中継が好きでラジオにかじりついていたが、亡くなった父親から初めてアナウンサーという職業があることを教えられて、以来、絶対アナウンサーになると念じたそうです。そんな弟、秀武少年のためにと、成績優秀だった姉は大学進学をあきらめたことも書かれていて、全体がとてもよい記事でした。

 

私が高校に入って受験期を迎えたころ、民放ラジオ局の深夜放送が始まりました。

各局それぞれが個性的な番組作りでしたが、私は「パックインミュージック」が始まるまでの時間帯に、大村麻梨子さんや青木小夜子さんなどセンスのよい珠玉の番組が散りばめられていたTBSラジオ、当時はラジオ東京をメインに聞いていました。

 

「オールナイトニッポン」オープニングの「ビタースイート・サンバ」の軽快なメロディーは、今でも深夜放送の代名詞。

糸居五郎、高崎一郎、ロイ・ジェームス、小島正雄、・・・往年の「ディスクジョッキー」は、その後の歌手や芸人・タレントの世界とは一線を画すもので、語りに風格がありました。ディスクジョッキーは恰好いい「大人の仕事」でした。

FM東京「ジェットストリーム」の城達也は、機長の制服コスチュームを身に着けて放送に臨んだといい、スタジオは文字通りの操縦室となっていたのです。

 

大橋巨泉やミッキー安川、怪人野末陳平もバリバリの現役だった。昨年亡くなられた若き大物、永六輔さんの番組には野坂昭如や五木寛之さんもよく友情出演していて豪華だった。当代きっての売れっ子作家だった、その五木さん自身も自ら深夜放送のDJをつとめていた。早稲田は中退しないと大物になれないと言われた時代でした(野末氏や青島幸男は「卒」)。

 

土居まさるアナを筆頭に、若い局アナはそこに風穴を開け新風を吹き込んだのです。

「ブーブー」「下落合本舗」のTBS林美雄アナウンサーは局アナとは思えないほどおもしろかったし、ニッポン放送アナウンサーの今仁(いまに)哲夫さんも楽しみに聞いていた。

 

高嶋さんは、あの今仁さんが病気休業した際のピンチヒッターで、そのときのことは「今仁のてっちゃん」が聞けなくなった残念さと、後任でインパクトのある「たかしま きよたけ」というフルネームとを憶えています。ピンチヒッターといえば、私の高校の先輩であった久米宏さんが体調を崩して降板した後を継いだのが、「みどりブタ」林美雄さんだったようです。

 

いまではラジオ放送界生き字引のお一人になった高嶋秀武さん・・・同じ時代に放送していたひとと聴いていた私・・・今度見えたらあらためてお話しさせていただこう。

是非また!お待ちしています。

 

(追記1)

私もニュース放送のアナウンサーを夢見て、小学5年のときから放送部に入りました。昼休みの給食時間には、ちょっとワクワクする、片側の壁が放送機器で埋まって、ひとがすれ違えないほど狭い放送室に一人こもり、自分が選曲した曲名を紹介しながらレコードをかけ、夕刻になると「家路」とともに下校の時間を告げて、アナウンサー気分に浸っていたことを思いだしました。

運動会や式典のときにも、校庭を見下ろす校舎2階(?)にあった放送室に入って先生を補佐、ちょっとした大人の気分を味わったものです。

 

昨年、何十年ぶりかで世田谷の多聞小学校を訪れ、新校舎落成式に参列させていただきましたが、広いスタジオに映像機器や照明器具が置かれた放送室は、テレビ局のように立派で、時の流れに感無量でした。

 

(追記2)

高嶋秀武さんは、叔父さんがNHKに勤めていたといい、当時内幸町にあった放送局にちょくちょく遊びに行ったそうです。実は私の叔母がNHKで受付嬢をしていたので、ひょっとすると、「秀武少年」も受付で私の叔母と顔を合わせていたかもしれません。

 


2017-08-08 16:10:00

オープンキャンパスも終わり大学も夏休みに入りました。

「3つのオレンジへの恋」は8月5日(土)~20日(日)までお休みさせていただきます。

8月21日(月)より営業いたします。

 

今年のオープンキャンパス初日はとても蒸し暑い一日でしたが、大勢の方にお出でいただき感謝申し上げます。

みなさん一斉で、入りきれない方も大勢いたのが残念でした。

「時間差来店」していただければと・・・。

 

営業時間の終了近く、デミハヤシオムを一口食べた女子高生の顔がニコニコほころびました。

満面の笑みがあまりにも良かったので、丁度そばにいた私が思わず「美味しいでしょ?!」と尋ねると、嬉しそうにまた頷いてくれました。

お母さんも気さくで、長野から来られたというので、最近ご縁のある伊那市かと期待しましたが、須坂市からでした。

 

須坂といえば、私の早稲田法学部時代の同級生の出身地で、大学1年の夏休みには早速志賀高原を案内してくれ、冬はスキーを楽しませてもらって、彼の実家には大変お世話になったものでした。この女子高生は彼と同じ須坂高だというので、まさかご近所ではと思いましたが、さすがにそこまで一緒ではありませんでした。

それにしても少女の笑顔はこの日一番のもので、あのころの彼の妹や、その従妹で湯田中にいた女の子を思い出しました。目の回りそうな一日でしたが、彼女の微笑みに癒されました。

 

須坂からの母娘を見送ったあと、カウンター席にひとりの男子学生が残っていました。

結構長い時間、一生懸命に何かを書き留めていたようで、訊いてみると川越高校だとのこと。やはり私と大学の同級で、親しかった10人ほどのグループの一人が川越高出身だったので、この日は二回驚かされました。

入りきれないほど、数えきれないほど大勢の高校生がみえる中で、いちいち会話ができるわけではなく、たまたま訊くことが出来たこの二人の偶然を、とても嬉しく、またちょっと不思議な縁を感じました。

 

川越高の彼は、身体は大きくはないが日焼けしていて精悍で、ラグビー部ではプロップというポジションをつとめ、スクラムで一番最初に当たるところですと明るく語っていました。同校は映画「ウオーターボーイズ」の舞台だと言っていましたが、知ってる知ってる!。つい先日、川越高出身の同級生と会った際にもその話をしたばかりで、あのプールが50メートルもあると聞いて驚いたものでした。

この日の彼は「くすのき際」という学園祭のリーダーを務めているといいます。ことしは「第70回記念」のようで、是非頑張って欲しいものです。

 

今年のオープンキャンパスの「おまけ」は、翌日、男子の川越と並ぶ、川越女子高の3人とお話しができたことでした。

「昨日、川越高の男子が来たんだよ」というと、「川高(かわたか)ね!」と、うれしそうに反応したのでした。

 

大学1年の語学のクラスで出会い、みんなときには口論もしたが、今年は早や「45年目」のホームカミングデー招待年を迎え、5年後の「50年目」が、もう最後の招待年となります。

早稲田大学にホームカミングデーという行事があることは知っていましたが、まだまだずっと先のことで関係はないと思っていた。

時間よ ちょっと待って!。

 


1