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2017-06-22 13:45:00

「冷やし中華始めました」

毎年、今頃の季節になると、ラーメン店や中華料理店の店頭で見かける光景です。

いよいよ今年も夏が来たなと。

 

オリジナル オムライスの店、ここ早稲田「3つのオレンジへの恋」には「冷やし中華」はありませんが、今年も「夏の日の思い出オム」を始めました。

 

夏の陽射しの高原の思い出━━。

お皿の上の「新鮮野菜畑」に、スパイシーなサルサソースと、モッツアレラチーズと、とろとろオムレツのコラボレーションです。何よりもヘルシーです。

なお売り切れ次第の数量限定につき、宜しくお願い致します。。

 

「3つのオレンジへの恋」では、今日も「美味しい おいしい」の声と、「新鮮な笑顔」がたくさん「採れ」ました。

今年の夏も、楽しい思い出をいっぱい作ってください。

 

 


2017-06-14 14:01:00

初めて聴いても懐かしさを感じるメロディーを、ホルンが朗々と奏する。

「魔弾の射手 序曲」。

”快速“の「フィガロの結婚 序曲」や、”闘牛士“の「カルメン 前奏曲」と並んで、親しみやすい名曲です。

 

「魔弾序曲」と勇壮な「狩人の歌」は小学校5~6年のときに音楽の授業で聴き、すっかり魅了されました。演奏時間の「短さ」がちょうどよいのか、「狩人の合唱」は子供の頃にはよくラジオからも流れていて、ドイツロマン派の作曲家ウエーバーの細長い顔と名前も覚えました。

 

ドイツの暗い森の雰囲気を漂わせる歌劇「魔弾の射手」は、 ワーグナーの音楽に大きな影響を与えたといいます。後に私がワーグナーを好きになった伏線はこの曲にあったようです。「狼谷」の不気味さ、かきたてられる不安感は、映画 「ハリポッター」の音作りに通ずるものを感じます。

 

「魔弾序曲」で、曲が終わったかのような休止の後に、いきなり「グア~ン」とくる衝撃は、ハイドン先生の典雅な「驚愕シンフォニー」の比ではありません。続いて演奏される胸躍るメロディーはエレガントで、ミュージカル音楽と言ってもよいほどノリがよく軽快です。

 

「こんにちは赤ちゃん」が流行っていた当時、父と秋葉原まで行って買ってもらったポータブルプレーヤーで、サバリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団演奏の「序曲」と「狩人の合唱」も収められていたドーナツ盤レコードを、繰り返し聴いたものでした。

 

私にとってクラシック音楽とは、つねに鑑賞するものであり、そこから何ものにも代えがたい心の充足と感動を得るのですが、6月4日の第76回定期演奏会で、早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の学生のみなさんは、この「魔弾の射手」を、そしてレコードでは何故か「運命」とカップリングになっていることの多い「未完成」と、雄弁なソロバイオリンが必要でスケールの大きな「シェラザード」とを、易々と演奏してしまうのだから「驚愕」です。

 

指揮をされた松岡 究さんに、往年のN響指揮者ローゼンストックさん(この人は厳しかったようです)の面影を感じたのは、燕尾服姿のせいか、はたまた私の思い違いだろうか。

 

私の小学校の同級生にはバイオリンを習っていた女子がいたし、中学でもピアノを学んでいた女子がいた。二人のその後はわからないが、早稲田大学交響楽団や早稲フィルの皆さんを見ていると、同級生だった彼女たちのその後の「音楽人生」思うことがあります。音楽学校に進学しなくても、早稲田に入学し、立派に交響曲や管弦楽を演奏している・・・そういえばあの二人も成績がよかったなあ。

 

今春の「第九」では、早稲フィルと早稲田大学混声合唱団が見事な演奏を披露してくれましたが、この日、早稲田大学グリークラブが「狩人の合唱」を歌ってくれていたら、もう一回アンコールだなあ。

 

水島先生、良い演奏をいつもありがとうございます。

 


2017-06-02 15:25:00

久しぶりに顔を見せてくれた男性Nさんは、アルコールが入ると「わけアリ」になった商社時代の先輩の「ご学友」です。Nさんの方は、アルコールが入っても「わけアリ」にはなりません。

 

NさんがゼネコンH社に勤めていたとお聞きし、またH社での名簿作成の話が出たので、ある女性の名前が載っていないか、調べていただくようお願いしました。学生時代の英会話教室で一緒だった方で、青山の本社で受付をしていた彼女を、友人と「表敬訪問」したこともありました。最近、受付嬢を置く会社を見ることはまずありませんが、会社の大事な「顔」でした。

 

当時の女性は在職期間の短いケースが多く、その名簿作成時にはもういなかったかもしれませんが、一足先輩たちの職場姿を垣間見たのは、学生時代の懐かしい思い出です。

 

様々な年齢・職種の社会人と学生らが集ったその英会話教室は、いつも和気あいあいで、アフタースクールのお茶会も楽しみでした。

H社受付をしていた彼女を、英会話教室の若い外人男性講師が「ファン=好き」になり、私と、もう一人の男子学生とで有形無形の協力を惜しみませんでした。お茶会の後には、お茶の水駅近くの彼女の自宅まで、その外人講師に「付き合って」一緒に送っていったり、グループでスキーツアーに行った楽しい思い出も。男子学生の下宿に泊まり込んでは一緒にお酒を飲んだ、南アから来たあの講師は今どこにいることだろう・・・。

 

Nさんを知ってから10年以上たつと思いますが、実は、戦前の代表的な航空機メーカーN飛行機の一族だと、初めて教えてくれたのは、最近テレビで、この会社や、群馬県太田の「本家」の大邸宅が紹介されたことが理由のようです。

 

太平洋戦争時の戦闘機や艦船のファンだった私は、Nさんが話すその番組を「見たかった」と思い、途中から「いや たしかに見たぞ!」に。

 

冒頭部分こそ見逃しましたが、チャンネルを切り変えたとき、画面はハワイ真珠湾攻撃の映像で、お馴染の「零戦」や「97式艦上攻撃機」の雄姿が映っていました。

 

Nさんから話を聞いて、私が店の奥から出してきたのは、購入しておいた日本海軍の傑作機「紫電改」のダイキャストモデルです。外装のケース箱には、”日本海軍最後の荒鷲” 局地戦闘機 川西(機体メーカー)「紫電改」と記載され、「誉」というN社製高性能エンジンを搭載していました。

 

その「紫電改」が登場し、三船敏郎さんや加山雄三さんが出演した東宝映画「太平洋の翼」(1963年)を見たときには、特撮の航空機の場面になるとワクワクしたものです。

当然NさんはN飛行機の「作品」はよくご存じかと思っていたが、スピットファイヤーに似ている「飛燕」の名もすぐには浮かばないようで、プラモ作りや雑誌「丸」を愛読していた私の方が詳しいようでした。

 

━━私が小学生だった頃、若き日の三遊亭小金馬さん司会による「陸と海と空」というテレビ番組がありました。プラモデルメーカーの「マルサン社」がスポンサーで、小金馬さんが解説し同社製品を紹介するのです。「紫電」の後継機「紫電改」を取り上げたときに強調していた高性能さと、特徴のある機名と、零戦に比べややずんぐりとした機体が印象に残っています━━。

 

この日、チャンネル切替え時の、真珠湾攻撃映像のナレーションは、戦況や戦果よりも、「N」というメーカー名、軍用機やエンジン性能の優秀さが強調され、すわ!航空機にスポットを当てた番組かと期待したのですが、画面はN家の家屋やご一族の映像に変わりました。

 

それは「昭和の名家」(シリーズ)という番組で、たまたまこの日は「N家」についてだったのです。

日本が誇る航空機やエンジンのメーカーであったNさんのご本家について、何とか拝見できました。再放送があれば、今度は最初からじっくりと拝見したいものです。

 

日本が敗けなければ、N飛行機は世界的な一大航空機メーカーになっていたはず・・・。

 


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