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2015-08-29 12:58:00

まだまだ夏休みが続く大学です。

 

昨日は福岡県から大牟田高校の生徒さんがみえました。

 

女子と男子の3つのグループは、皆さん高校生らしくきちんとされていました。

2年生だそうで、大学に見学に来られたようですね。

 

「3つのオレンジへの恋」によくお出で下さいました。

店の設備の補修で、その前の二日間は臨時でおやすみしていたので、よいタイミングでした。

 

昼の時間帯で、あまり言葉を交わすことができませんでしたが、遠路お疲れ様でした。

早稲田大学と「3つのオレンジへの恋」で、良い思い出ができれば幸いです。

 

昨日は、幼稚園年長の、実に元気で楽しい女の子も来てくれて、「若い力」に溢れた一日となりました。

 

「いつも遊んでくれてありがとうございます」

女の子の似顔絵と一緒に、ノートにママが書いてくれました。

 

絵日記にも書いてくれると嬉しいな。

 

 


2015-08-22 19:29:00

いよいよ24日(月)より

「3つのオレンジへの恋」を営業いたします。

お休み中に足をお運びいただいた皆様には

申し訳ありませんでしたが

あらためてよろしくお願い申し上げます。

 

先日、早稲田小劇場どらま館にて落語を楽しむことができました。

大学側のご厚意によるもので、近隣のひとが招かれました。

出演は落語協会会長をつとめる柳亭市馬師匠と、二つ目の柳谷禄太さんで、まず禄太さんが二席。

花緑師匠門下の禄太さんの、生きのいい芸は勢いがあって、これからが大いに楽しみです。

 

仲入り後、市馬師匠の名人芸は「らくだ」でした。

登場した師匠は長身でいぶし銀の風格、俳優のように味わいのある風貌、スケールの大きな語り口に深さがありました。

師匠によれば、高座と客席が近く、マイクを通さずにできるどらま館は、昔、街のあちこちにあったという寄席に似ているそうです。

 

演目は、気の弱い屑屋が酒を飲むほどに豹変して凄みをましてゆく「らくだ」という長尺。

師匠は最後までゆるむところなく、一気に聞かせてしまいました。

さすが名人、会長です。

 

師匠については、私はまことに失礼ながら、辛うじてテレビで、落語協会会長というお立場でのお顔を拝見したことがあるだけでした。

「笑点」など、ついテレビで売れっ子の落語家をありがたがるが、この日は現存の名人芸に接することが出来、本当に良かったと思いました。

主催された大学に感謝です。

 

早稲田演劇発祥の地「早稲田小劇場」 と同名の劇団は、1966年に現在の地に世界的な演出家である鈴木忠志さんや劇作家別役実さん(ともに政経学部)らによって設立されたそうです。

その後、紆余曲折があり、「早稲田小劇場どらま館」は耐震上の理由で2012年2月に取り壊されました。

 

6~7年前だったか、ある日、「3つのオレンジへの恋」に俳優の柄本明さんがひょっこり顔を見せました。

「早稲田小劇場」を探していたのですが、「小劇場」はもうありませんよと告げると、ガッカリしたように去ってゆきました。

私は演劇には疎かったのでわからなかったのですが、柄本さんが見えたとき、「早稲田小劇場」は民間貸劇場「早稲田銅鑼魔館」と、かたちを変えてまだ残っていたようで、あのとき柄本さんが気付いてくれていたらよかったのですが・・・。

 

その「早稲田小劇場」には井伏鱒二や吉本隆明も顔を見せていたといいます。鎌田薫総長も学生時代には演劇をやっていたそうで、そう言われれば確かに端正な役者顔です。

 

今年の春に再建された「早稲田小劇場」とともに、懐かしがられるのが「茶房」です。

私は学生時代に、昼間一度しか行っていませんが、きっと夜には文人や役者、演劇人がたむろしたことでしょう。

観世栄夫もよく飲んでいたといいます。

観世さんについては、私もサラリーマン時代に、神田神保町の古びた飲み屋、たしか「兵六」でお見かけした。

テーブル席の向こう側で、テレビや映画で見かけた、お馴染のぎょろりとした目でした・・・。

 

あなたの「3つのオレンジへの恋」は 24日(月)より営業 ですよ。

 


2015-08-11 14:37:00

相変わらず暑い日が続きます。

 

「3つのオレンジへの恋」では

 

8月10日(月)~22日(土)は 夏休み とさせていただきます。

 

8月24日(月)より 営業 いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

先日のラジオ深夜便では、テレサ・テンと森山良子特集をやっていました。

 

もともとはジャズシンガーになりたかったという良子さんは、私の青春時代に大ヒットしたのに、

ポップス路線の「禁じられた恋」を、当時は好きではなかったと言います。フォークの「この広い

野原いっぱい」でデビュー、「今日の日はさようなら」などをギターで爽やかに歌った良子さん

は「和製ジョーン・バエズ」と呼ばれていた・・・もうずいぶん昔の事になってしまいました。

 

慶応大学の学生だった私の従兄が、一時、良子さんに英語の家庭教師をしていたことから、

私も早くから注目しましたが、デビュー時には可憐な女子と思っていた良子さんが、あの

中尾ミエさんと堂々と渡り合っていたテレビ番組の「おしゃれ泥棒」では、すっかりたくましく

なっていました。

この日流れた「さとうきび畑」全曲バージョンの絶唱は、8月のこの時期にとくに心に沁み

ました。

 

そしてこの日もう一人の特集、テレサ・テンさん。

先日、渋谷公会堂で没後20年の追悼コンサートを聞く機会がありましたが、悲しみを湛

えた多くの曲は、心地よくも強く胸に迫ります。

「井の頭公園の歌姫」あさみちゆきさんを聴いていても思うのですが、テレサ・テンさんに

ももっと幸せな歌を歌わせてあげたいと思ったものでした・・・

歌の内容が可哀想すぎる・・・。

 

 ♪ あなたをこれ以上 愛するなんて

   私には できない

 

「別れの予感」を聴く度に、作詞家荒木とよひささんは、なんでこんなに美しくも哀しい詩を

書けるのだろうかと思います。作曲の三木たかしさんも・・・。

 

あなたの「3つのオレンジへの恋」も、これほどに愛されたいものです。

 

 


2015-08-04 16:10:00

ことしのオープンキャンパスは連日の猛暑の中でした。

「3つのオレンジへの恋」にも大勢お出でいただきまして、ありがとうございました。

 

これまでオープンキャンパスでは、一期一会ともいうべき思わぬ出会いがありましたが、今年もまた・・・。

 

1日目に来店した際に忘れ物をされた、まだお若いお母さんが、翌日またお見えになりました。

前日も少しお話しさせていただきましたが、礼儀正しい、とても感じのよいお母さんとお嬢さんでした。

 

そのご家族は、世田谷のある町にお住まいでした。私が赤ん坊の時代から幼児期にかけて住んでいた官舎の近くで、そのお母さんもその場所をよくご存知でした。

 

しかし私にとって、記憶が形成される前の官舎の思い出は霧の向こうの景色のようで、建物の様子や隣近所にだれがいたのか、ほんのところどころしか覚えていません。

住人たちは、みなとても仲が良かったことだけははっきり覚えており、ほかに小さな子どもがいなかったその官舎では、私たち姉弟はきっと一杯可愛がってもらったことでしょう。

 

近くにあった大きな公苑とともに、その町は、懐かしいという感情以前の、原始の記億の始まりの町でした。

 

先日、家の片づけをしていると、 偶々、その官舎の見取図が出てきました。

各戸毎に名前が記されていて、建物の配置もわかりました。

もう60年以上前の、わら半紙の小さな印刷物ですが保存状態はよく、軍属として赴任していたインドネシアから復員した父にとって、その官舎は、後に引っ越した、やはり世田谷区内の官舎とともに、大切な思い出の場所だったに違いありません。

 

やがて社会人になった私は、たまたま仕事で近くに立ち寄った際に、合間にそこを訪ねてみました。当然古びた木造の建物ではなく、官舎は中層の集合住宅になっていました。ほとんど記憶にはないが、付近の町並みも大きく変わっていて、当時の面影がまったく残されていないことは明らかでした。それでも幼い日にはここで暮らしていた、人生のスタートの地だと思うと、感慨深いものがありました。

 

心の疼く霧の町からやってきた母娘と、突然目の前に現れた、欠落していた記憶を補う古い見取り図・・・。

暑い今年の夏、期せずして私の原始の記憶に連なる出来事が続きましたが、そのお母さんの話しでは、私たち家族が住んでいた官舎街の一帯は売却されて、まったく新たな施設の用地になるようです・・・。

 

もしも、その方が忘れ物をしなければ、その方のご住所を知ることも、ましてや思い出の地の最新情報を知らせていただくこともなく、「小さな奇跡」は見取り図発見のひとつだけで終わったことでしょう。

 

思い出の官舎は、束の間姿を現し、いよいよ霧のなかに消えてゆきます。

 

貴重な出会いとなったこの母娘、ご家族にとって、来年がよい年になることを願っています。

 

 (8月3日 の火曜日は おやすみさせていただきました)

 

 


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