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2015-05-29 11:55:00

スーパーの食品売り場で、ウインナーソーセージの小袋の山はお馴染の光景。

メーカーはいろいろだが、米久の製品を目にすると、ある種の懐かしさを感じるの

です。

 

もう何十年前か、私が総合商社で企業審査の仕事を担当していた数年間、静岡

県沼津にある取引先米久さんを何度か訪れた。

 

当社の担当は、銀行のように2~3年ごとに変わっていた。

30歳前後の若造審査マンであった私を、また交代かという顔も見せずに、社長は

温かく迎えてくれた。

私は、前任者から、社長はしっかり経理内容を把握しており、なかなかの人物で

あると聞いていたが、そのとおりで、かつ魅力ある人だった。

 

社長は、その後も社長室に顔をだす度に、私の名前を親しげに呼んでくれ、現在

取り組んでいることを、楽しくてたまらないという様子で話し始めた。

 

私は、経理、経営状態を伺う本来の目的が終ると、社長が研究内容や新商品の

ことを熱く語るのを聞くのが楽しみだった。

 

社長は、これからはハムソーよりも、肉の素材を生かした焼き豚、ベーコンの時代

になるといい、食品全般についてとても研究熱心だった。

 

イタリアで研究してきたというチーズや、当時はまだ販売が認められていなかった

生ハムの話し、ある大手製麺メーカーと共同で開発したうどんにまで話しが及び、

美味しいうどんが完成したと、目を輝かせていた。

 

残念ながらうどんの試食はできなかったが、今や東京でもすっかりっかりおなじみ

になった讃岐うどんや、秋田稲庭うどんの美味しさを思うと、社長の作品を試食さ

せていただきたかったものだと思う。

 

その後、私の担当は変わって社長とお会いする機会はなくなったが、たまたま、

私が、縁もゆかりもなかった飲食の道を、ここ早稲田で始めたとき、食品業界の大

先輩であった社長にお会いしたいと、何度思ったことだろう。

 

今では、私ももう創業14年目に入った。

いつかはお会いしたいものだと思って検索してみると、米久は一部上場を果たし

た後、、社長は米久を引退し、まったくの新規事業を始められたようで、育て上げ

た米久は、ビール会社の系列になった後、別の商社のグループ会社になってい

た。

 

最近は乗ることがめっきり少なくなったが、新幹線が三島駅に着く前、富士川の長

い鉄橋をわたるときに富士山を眺めると、いつも社長を訪問するときの、心地よい

緊張感を思いだすのです。

 

当時、静岡支店の営業マンが言っていたとおり、鉄橋越しに、見えなくなるまで振

り返って眺めた富士山は、ずっといつまでも見ていたいと思うほどに美しかった。

 

 


2015-05-26 19:00:00

「オムライスおいしかったです。コーヒーもとっても!」

満足げに語ってくださるご婦人。

 

「こんなにフワフワでトロトロの美味しいオムライスは初めてです」

ある男子学生は、興奮気味に語ってくれた。

 

「ああ美味しかった!」

店を出ながら、友人に思わず感想を漏らす女子学生。

 

いよいいよ、今年もまたやってきました。

 

スパイシー&フレッシュ!

モッツアレラチーズとサルサソースの野菜がいっぱい!

あの「夏の日の思い出オム」が

今年も食べられる!!(数量限定です)

 

今日も4年生の男子が、そして女子も、

「もっと早く来ればよかった」

これも多くの方が口にされる言葉です。

 

それでも、ようやくこれてよかったね。

 

さあ! あなたも

「3つのオレンジへの恋」 で

素晴らしい思い出をつくりましょう。

 

今年の夏は暑くなりそう!

 


2015-05-20 14:10:00

岡本太郎さんの代表作のひとつに「重工業」という作品があります。いかにも岡本作品らしい、抽象画の強烈なその絵の中で、1本のネギが妙に具象的に描かれています。

 

岡本太郎をとりあげたテレビ番組で、ゲストの石原慎太郎氏が、このネギの意味は何だろうと訝っていました。

 

重工業は必ずしも人類にバラ色の未来をもたらすわけではないと、警告を発しているような不気味さが、その絵にはあります。

 

私は、このネギは一冊の童話に触発されたのではないかと、密かに思っています。

それは「ネギをうえたひと」という童話で、私が小学校低学年時の担任で、優しかった鴻巣静代先生が読んでくださったのです。先生は、1年生からの3年間、教室で本当にたくさんの本を読んでくださって、それは何よりの授業だったと思っています。

 

「ネギをうえたひと」には少し残酷な部分もあるので、詳細はネットで調べていただければと思いますが、ネギを食べるようになったおかげで、人がひとを殺すことがなくなったという童話は、お腹がいっぱいになるジャガイモや肉類でなくて、「なぜネギなのか」という、そのときの小さな疑問とともに覚えていました。

 

近代は、重工業の発展から軍備拡張、戦争へと暴走した歴史でしたが、鬼才岡本太郎氏の脳裏には、「ネギ」と「平和」がひらめいたのではないかと、凡才は睨んでいます。

 

岡本太郎氏の作品がいくつも展示されていた、シンプルななかにも趣きを感じた国立競技場はすでにとりこわされ、気持ちの悪いデザインの新国立競技場ができてしまったら、太郎氏は激怒するに違いない。

なにしろ、氏は大阪万博の「太陽の塔」をつくるときに、シンボルゾーンの大屋根の設計をめぐって、総合プロデューサーでもあった超大物丹下健三氏と、互いのネクタイをつかんで、取っ組み合いをして殴り合ったというのですから。

 

ところで、「3つのオレンジへの恋」 では、心が穏やかになるオムライスを、お出ししていますよ。

 


2015-05-13 15:20:00

おととい、店のテーブルに、ま新らしいスペイン語小辞典の忘れ物がありました。

このHPを見て、ご本人か、お友達が気が付いてくれればよいのですが・・・。

 

やはり、おとといのこと、「オウ!」と、一人の同級生が突然顔を出しました。

私たちは法学部のフランス語のクラスでしたが、彼は演劇部の活動に熱心で、ほ

とんど授業に顔を出しませんでした。それでも、頭がいいのか、要領がよいのか、

京都の私大で、憲法の教授をしています。

 

私大教授の定年は、たしか70歳だと聞いていたので、まだまだ先と思っていた

ら、彼は「何とか」という、退職準備期間に入っていて、残りのスケジュールはゆっ

たりで、68歳で辞めるのだそうです。

 

同じ日、早稲田文学部OGで、今はエクステンションの授業に通い続けているMさ

んが、いつものようにお見えになりました。

当店と長年のお付き合いのあるMさんのグループは、始めは7~8人のおおぜい

でしたが、ご高齢の方が多く、今は少人数になりました。

 

この日、Mさんの学生時代や早大職員時代の、お若い頃の写真を何枚か見せて

いただきました。

モノクロの、少し不鮮明ではある写真でしたが、女優のようだと思いました。

 

そこには、年輪を感じさせる現在のお姿からは想像できない(失礼)、(美人なの

に)性格のよさそうな、爽やかで美しい女性が撮っていたのでした。

文学部といえども、早稲田にはまだ女子学生は少ない時代のはずで、成績も優秀

だったMさんは男子学生の間でも、先生の間でも評判だったことでしょう。

 

昭和48年卒業の私の時代ですら、法学部、政経、商学部などでは、美人も、

そうでない人も、女子は数えられるほどだったのです。

 

旧制高校の時代に流行ったといい、我々のころにも「バック シャン」という言葉で

残っていた、美人のことを言う「シャン」という言葉は、Mさんの時代にまだ流行っ

ていただろうか。

 

「この時代にお会いしたかった」

思わず口に出た、私の言葉でした。

 

先の私の同級生も、やはり先日見えた、病を幾つも乗り越えている会社時代の

4年先輩も、異句同音に「我々もあと10年なんだから」と言っていた。

 

胸に秘め言えなかったことも含めて、私は人生のあちこちで「忘れ物」をいっぱい

してきましたが、美しい思い出だけは生涯の宝物。

 

「ふりさけみれば」

古語の意を、ひしひしと感じるこの頃です。

 


2015-05-08 15:45:00

2002年4月に「3つのオレンジへの恋」を始める前、私は、それまで未知だった多くの人たちと出会うことができました。

 

競争社会だった会社組織を離れて、もはや一個人に過ぎない私に、創業セミナーやイベントなどで初めて出会えたひとたちは、男女を問わず、何故か心優しいひとたちが多くいました。

 

あるセミナー分科会の一つのグループで、たまたま一緒になったKさんは、初対面でも人見知りせず活発に発言する、可愛らしい女性でした。

 

すでに、夫君と内装関連の会社を運営していたKさんは、有名なベンチャー企業の雄(その人は後に失脚しましたが)とも面識があり、若いのに、その人脈は羨ましいほどでした。

 

気さくで、初対面の私とも意気投合。飲食業を目指そうとしていた私にとって、飲食関係にも詳しいKさんは、心強い味方になりました。

 

Kさんから話のあった、某私鉄駅前のカレー店を引き継ぐ話は、結局見送りましたが、飲食業界に通じる頼れる先輩であり、その後も私たち夫婦との友情は続きました。何よりも、会っていてとても楽しく、嫌みのない明るい人柄は素敵でした。

 

その後、都心のビル街の一角に、彼女が好んだ店名をつけた輸入雑貨店を、妹さんと始められたときには、お祝いがてらお店に伺いましたが、私の方は「3つのオレンジへの恋」にかかりきりになり、ご無沙汰が続いてしまいました。

 

最近になって、久々にお会いしたい、どうしているだろうかとお思って検索してみると、その会社は関連会社とともに、4~5年前に自己破産したという記載がありました。

まさかと思いましたが、その何年か前に、その店をとりあげたFMラジオ番組にKさんが出演した際の、明るい笑顔が掲載された番組ブログは、今も残されていたのでした。

 

一時、ネットカフェがとても好調だからと張り切っていたので、順風満帆かと思っていましたが、その後いろいろ手を広げられたのでしょうか?まさか!という思いです。

 

Kさんは、私が起業する前に出逢えた何人かの恩人の一人。苦難を乗り越えて、今もあの笑顔のまま、どこかで再起を期しているのではと、心から願っています。

 

(「3つのオレンジへの恋」は、5月11日(月)より営業いたしております)

 

 


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