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2012-11-30 00:00:00

 

タクシードライバーは当店にも見えますが、スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロの出世作

となったのは、映画「タクシードライバー」。

俳優の故古尾谷雅人さんが、「2001年宇宙の旅」、「アラビアのロレンス」と並んで、

最も愛した映画のひとつだったそうです。

古尾谷さんの奥様で、女優の鹿沼絵里さんからお聞きしたことです。

 

絵里さんとは今年の早春、本当に偶然「3つのオレンジへの恋」の前でバッタリお会い

したのでした。

 「ここオムライスのお店?」と、元気なご婦人が親しげに話しかけてきました。

「とても美味しいですよ、よかったらどうぞ」。

「ふーん」。

間もなく店のドアが開くと、先ほどの女性が入ってきました。

 

私との会話を聞いていた妻が「フルオヤみたい」といい、すぐにそのとおりだったことが

わかりました。

およそ10年ぶりの再会でした。

 

絵里さんは女優業の傍ら訪問介護のお仕事で、奇遇にも「3つのオレンジへの恋」が入っている

マンションにやって来たのでした。

このときのことについては、このHPとリンクしている2012年2月21日のブログ「フルオヤさん

のこと」をご覧ください。

 

古尾谷家とは子供が小学校の同級で、奥さん同士は親しくお付き合いしていたのですが、

私は知る機会もなく、妻がとてもいいひとだと言っていた鹿沼絵里さんや、夫君古尾谷雅人

さんのことは、妻から聞いたりテレビで見かけるだけでした。

 

絵里さんは週1回の訪問介護の際に店に立ち寄られ、私も少しずつ話しをするようになりました。

絵里さんは、女優はみなそうなのか発声がよいからか、声が大きく本当に元気なかたです。

 

女優ということを感じさせない気さくな人柄で、お会いするのが楽しみになりました。

店に見えるとき、化粧気はまったくないのですが、豊かな黒髪と大きな目をしたその素顔は、

メイクしたらさぞやと思わせました。

 

そして何と偶然にも、私の一番好きな映画「アラビアのロレンス」のロレンス役を日本人が

演じるとしたら古尾谷雅人さんだと、以前私がブログに書いていたところ、生前、雅人さんも

その役を是非演じてみたいと言っていたと、絵里さんからお聞きしました。

 

また古尾谷雅人さんは「2001年宇宙の旅」も特にお好きだったとのことで、孤高の天才肌、

古尾谷さんと私の映画の嗜好がかなり近いことがわかり、驚きとともに嬉しい思いがしたもの

でした。

 

絵里さんが「3つのオレンジへの恋」こ来られたのは、結局、春から夏までの短い期間

で、その後、ご自宅に近い勤務地に移ったので早稲田での仕事はなくなりました。

 

鹿沼絵里さんとの出会いは、私が「3つのオレンジへの恋」をやっていたことに加えて、

偶然の力がないと実現することのないものでした。

 

もし、この出会いがなければ、私は鹿沼絵里さんのお名前を知るだけで、ひととなりについても、

雅人さんについても、知らないままで終わっていたことでしょう。

絵里さんも、私を意外といいオジサンだと思ってくれたかもしれません。

 

この店がなければ知ることもなかったといえば、以前住んでいたマンションの住人だった奥様が

いました。

 

娘さんが早稲田大に通っていたこことから、奥さんはときどき立ち寄られるようになりました。

私もマンションでは形式的な挨拶くらいしかしなかったのでしたが、お店にこられると心の鍵が

解かれて、気持ちが通い合うようになりました。

彼女は、私が商社時代に何度も訪問したことのある同グループの銀行の本部の部署におられた

とのことで、話しもはずみました。

 

また、大学時代の同級生の妹さんは、「3つのオレンジへの恋」に見えてから一気にそれまでの

よそよそしさが消えて、心が通い合うようになりました。

誘われて、いっしょに歌劇「3つのオレンジへの恋」の来日公演を観たことは、私の貴重な音楽

体験となり、彼女とのよい思い出となりました。

 

このお二人とも、店にこられたときには本当にうれしそうにされていた様子が忘れられませんが、

その後お亡くなりになりました。

 

短い時間でのお付き合いでしたが、それまでにはなかった心からの交流ができたことは本当に

よかったと思っています。

きっと彼女たちの心のなかにも、「3つのオレンジへの恋」でのささやかな喜びの記憶が残されて

いたのではないでしょうか。

 

ひととの出会いは本当に不思議なもので、一体誰が筋書きをつくるのかと神秘感すら感じます。

 

そういえば鹿沼絵里さんから、少女のころ仕事で初めてパリに行ったときに、街で一目ぼれして

買ったという一幅の絵画をお預かりしています。

よい買い手を見つけてさしあげたいと思っており、いずれブログに登場する予定です。

 

 


2012-11-21 17:18:00

 

大隈講堂前の大銀杏は、ここ数日の寒気で急速に黄葉が進みました。

 

11月23日(金) は祝日ですので お休み です。

翌 24日(土)は 営業 いたします。

 

秋から冬へ。

オムライスもいっそう美味しさをましてゆきます。

 

 

大学のイベント「大隈重信と小野梓 建学の礎展」が終了しました。

私は、終了真近かのひととき、慌てて駆け足で見学してきました。

 

「3つのオレンジへの恋」の目の前に小野梓記念講堂ができたことで、私は遅ればせ

ながら大学刊行の「早稲田大学八十年史」をひもとき、建学の母 小野梓のことを

学んだのでした。

 

反動的な、ときの政府の下で近代の自由な思想に基づく学校をつくることが、当時いかに

困難であったことか。

小野梓の明晰な頭脳、思考力、知識の深さ、おそるべき活動量の多さ、人物の偉大さ。

齢60を過ぎた凡人は初めて知りました。

 

多くの有能な人材をひきつけた大隈重信候も、もし小野梓と出会うことがなければ、

東京専門学校の開校はもっと大幅に遅れたことでしょう。

ほかに誰が短期間で、これほど見事に成し遂げることができただろうか。

 

改進党の結成、東京専門学校の創設、言論出版活動などこれまで日本が体験したことのない

未知の分野で、晩年は病魔に冒されながら、小野は多彩な活動を繰り広げました。

 

私の中学のときの日本史教科書では、小野梓は明治時代の代表的な思想家、政治家として

記載されていました。

しかし、あまりにも有名な大隈や福沢諭吉、新島襄らに対して、小野梓という今様のひとの

ような名前はスラリとしてインパクトがなく、「国権汎論」という大作名著も、平易な題名の

「学問のススメ」に比べると、ものものしくて私には馴染みにくかった。

 

だが、「八十年史」や「大隈候は語る」などで小野梓のことを知るほどに、その立派さ、偉大さに

驚愕し、深く感動しました。

 

わずか33歳10ヶ月という短い人生で、大きな足跡を残し、文字通り全力疾走で

駆け抜けた小野梓の筆跡書体は知性を感じさせ、味わいのあるものでした。

西洋に負けまいとの気概を表す「東洋」という揮毫、そして、あの「国権汎論」の

自署による題名を目にしたとき、涙があふれました。

 

もう一度ゆっくりと見たかったが、今回少しでも接することができ、よかった思いました。

 

 


2012-11-15 13:00:00

 

縁があって禁煙団体に入っています。

私自身はなかなか活動はできませんが、新幹線、タクシー、オフィス、公共施設等での

禁煙化が進んだのは、その団体のみなさんのたゆまぬ活動のおかげです。

 

その団体の活動メンバーにタクシードライバーがお二人います。

一人は個人タクシーのYさんといい、車内客席からのタバコの煙害による病と闘いつつ、

タクシー禁煙化訴訟で大きな力を発揮しています。

 

もうひとりは T さんといい、早稲田を本拠とするタクシー会社のドライバーで、仕事明けに

オムライスを食べに見えます。

一口食べて、食べ終わって、いつも腹の底から美味しかったと言ってくれます。

時には夜勤明けで、食べ終わってうつらうつらしていることもあります、

お疲れだったことでしょう。

 

この T さんからは、タバコの副流煙以上に怖いのが、衣服に滲みこんだニコチン成分や

タバコ常用者の呼気だということを教えてもらいました。

いやな煙こそ見えないが、その毒性の強さは副流煙以上で、医者も警告するほどとのことです。

 

喫煙者にまつわりついて離れない不快で強い匂いは、逃げ場のないエレベーターや車内で

いっしょになると本当にイヤなものですが、その空気自体が猛毒だと思うと余計に迷惑です。

 

 T さんは歩きタバコをしている人を見かけると 、注意してやめさせるそうですが、

私はそこまで勇気はなく、煙を吸わないよう息を止めて足早に逃げるだけ。

 

T さんは「ラジオ深夜便」 のファンでもあり、明け方4時台だったか「もう一度聞きたい懐かしい

音」で、ふるさとの長崎大村市への帰省時、汽車の停車場での様々な音を是非また聞いて

みたいと言っていました。

ご両親につながるという思い出の音の放送、実現してほしいものです。

 

もう一度聞いてみたい懐かしい音、私にとっては何だろう。

秋田県能代七夕祭りの哀調を帯びた、父の、両親の愛した、ねぶ流しの笛の音だろうか。

 

テレビ東京の番組だったと思うが、毎年、神宮外苑に全国の夏祭りが集まり、ある年に

能代の七夕が出場したことがありました。

 

行けなかった父の代わりに、私は小学校の夏休み以来の能代の七夕を、妻と子供たちを

連れて見に行きました。

妻も、七夕ねぶ流しの笛の音や太鼓の音がとても気に入ったと言っていました。

司会進行はいつも明るかった坂本九さんで、その後、無念にも飛行機事故に遭われて

しまいました。

 

「3つのオレンジへの恋」では、オムライスが母の味だ、懐かしい味だと言っていただく

ことがあります。

そのお母さんは、料理のすご腕の持ち主だと思います。

 


2012-11-12 00:00:00

 

ときどきこのHPでとりあげている唐橋ユミさんが、歌手デビューするかもしれません。

先週,朝のラジオ番組の中でのこと。

吉田アナが、その顔にとても親近感を抱くというコメンテーターで、慶応大学大学院教授の

岸博幸さんの会話の中。

 

岸さんは自分でもバンドを組んでいるそうですが、エイベックスグーループの顧問をしている

ので、もし唐橋ユミさんが歌の世界でCDを出すならひと肌脱ぐと言っていました。

 

これを聞いて喜んだのが吉田照美氏。

吉田アナといえば、最近、初のCDソロアルバムを出したとのこと。

毎朝、吉田・唐橋コンビに続く時間帯を受けもつ野村那丸アナによると、

ある日、スタッフと打ち合わせ中、ミーティングルームに吉田が歌う「空に星があるように」

が流れたそうだ。

それを聞いた全員が凍りついたという。

部屋には何とも言いようのない(イヤーな)空気が漂ったそうです。

オリジナルの荒木一郎だと、とってもよい曲なのにと野村アナが言っていました。

 

吉田アナは自分の歌への注目、口撃をそらすためか、しきりに唐橋嬢に「やれ、やれ」と、

けしかけていました。唐橋嬢もまんざらではない様子でした。

 歌手 唐橋ユミが誕生する日は案外近いかもしれません。

 

最近、文化放送から吉田アナの歌がよく流れます、

耳にした人は、何ともいえない気持ちになるという表現がピッタリです。

稀有の才能の凄いひとです。

みんなで応援しましょう。

 

さて、歌手、唐橋ユミは如何?。

万が一にも、吉田アナとのヂュエットなどないことを願いたいものです。

 

 


2012-11-04 17:28:00

11月 5日(月)と 6日(火)の2日間は、臨時で お休み です。

早稲田祭に全力投球したため、少しお休みさせていただきます。

 

7日の水曜日から営業いたしますのでよろしくお願いいたします。

 

早稲田祭の日のできごとです。

「早稲田青春のオムライスをください」と言ってこられた女子学生がいました。

ちょっと食べてみたいですね。

「3つのオレンジへの恋」では、どれもがみんな、とびきりの青春のオムライスなんです、

と説明しました。

 

「早稲田青春のオムライス」は、「3つのオレンジへの恋」のオムライスのキャッチフレーズ、

コピーなのです。

 

 オープンキャンパスで来てくれた女子高生が、ご両親といっしょにまた来てくれました。

客席からその娘さんの「美味し-い!!」という、元気な声が聞こえてきました。

 

日ごろみえている早稲田の女子大生が母親を連れてきて、そのお母さんともども、

大いに喜んでくれました。

美味しい以上の何かがあるとお褒めいただきました。

 

いずれも、大変な忙しさのなか、心が癒された瞬間でした。

 

今年も猛烈な集中で、入りきれなかったり、一部にご迷惑をおかけしたお客様が

出てしまいましたが、何とかかんとか乗り切らせていただきました。

 

今後とも引き続き「3つのオレンジへの恋」を愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

こちらは早稲田青春のオムライス放送です。

 

 


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