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2011-11-25 19:30:00

早稲田大学応援部のチアリーディング ステージが、ことしで30回目を迎えました。

30年前というと、昭和48年に私が法学部を卒業してから8年後のことになります。

 

早慶戦、神宮球場1塁側では、早稲田の学生は、特に男子学生はみな、

3塁側に遠く見える慶応のチアリーダーが華やかでうらやましく、

「花は桜木 男は早稲田」にはチアリーダーはないものと思ったものでした。

 

立派なチアリーダーがいる今は、慶応にあって早稲田にないのは医学部だけ?

 

当店は、2002年4月オープンの年に、ひとりの新人応援部員T君が顔をみせてから、応援部とのお付き合いが始まりました。

 

「えなりかずき君」似の制服姿が初々しいT君は、まだあどけなさが残り、応援部で大丈夫だろうかと心配しました。

杞憂で、4年生では副将となり、社会人になってゆきました。

以来毎年、リーダー、チアリーダー、吹奏楽団のみなさんとの交流が続いています。

 

「えなり君」と同じ会社に入社した元副将のK君も、この店を愛してくれたひとりです。

リーダー以外で吹奏楽団から初めて副将になったK君は、応援部を引退したあと、オールバックにきめていた頭髪から、さらさらヘアーの爽やか青年姿に変わって現れ、見違えてしまい、笑ってしまいました。

 

副将では、高倉健のようにストイックなA君もカッコよかった。

「神宮の特設ステージ上の鉢巻き姿は歴代でもトップクラスだと思う」と本人に伝えた。本人からは、「歴代を全部知らないでしょう」と突っ込まれて、「小生が知っている限り」と言いなおしましたが、少し前の時代を思わせる真面目な姿はやはりよかったと思う。

 

応援部とのお付き合いもほぼ10年になりました。

私の学生時代は、怖いイメージがあり近づきがたかったものでした。

実際はひとりひとりがみんな礼儀正しい好青年、好女子でした。

 

2年前の応援部主将Y君は、秋の早慶戦前、野球部の主将Y君とは気が合い、自分と「山々コンビ」でがんばると言っていた。

結束の強いその二人が率いる、4年生最後の早慶戦はテレビで見ていました。

早稲田は一方的な敗色濃厚でしたが、最終回に2アウトから劇的な連打が続き、ピンチヒッターで出た主将もヒットを打ち、すごい盛り上がりをみせました。

ベンチも、ヒットを打った選手も奇跡を信じて、もう、みんなが泣いていました。

これはテレビならではの映像でした。

このとき、1塁側スタンドでは応援部全員が、身も砕けよとばかり、渾身の応援。

NHKの実況アナウンサーは、よく調べていて、控えに回っていたY主将がよくチームをまとめていたこと、次々と代打で登場してくる選手たちを、手際よく紹介していました。

 

「稲穂祭」での、選手ひとりひとりの挨拶、顔が重なり、私もテレビの前で大泣きしてしまいました。

 

早稲田は結局負けました。4年生を優勝で送れなかった斎藤佑樹投手も泣いていましたが、長い早慶戦の歴史でも、最後に意地をみせ、これほど感激させた敗戦試合は珍しいのではないでしょうか。

 

そのときの応援部主将Y君は、来年就職とのことですが、いまは応援部と縁の深いM酒店で働いており、先日、当店に顔を見せてくれました。

いまはリーダー主将の重圧もないY君は、見るからに好漢、好青年でした。

 

そして先週は、チアステージの前に、チア4年生Aさんのお母さんがみえました。

お母さんのお話しによるとAさんは、高校のときに、オープンキャンパスで応援部に出会って感激し、自分も「ビッグベアーズ」の一員になると誓ったそうです。ときにはネット越しに彼女らの練習を見て、夢を育んでいたそうです。

 

念願かない入学したAさんは夢を実現しました(エライ!)。

お父さんは入部に反対したそうですが(気持ち分ります)。

 

女優「菅野美穂」さんに似ているAさんは、明るく闊達なお嬢さんですが、チア1年のときには随分悩んで、涙の日も一杯。

練習はきつく、疲れ果てて寝てしまい終電車で駅を乗り過ごすことも日常、お母さんの「車出動」も度々あったそうです。

Aさんも、チアのひとたちも、皆そんなことは微塵も感じさせずに満面の笑顔で、元気に活動していますが、

あの美しい演技の裏には、やはり厳しい練習があったのです。

 

お母さんは「美穂」さんに薦められたのでと言って、お友だちとみえました。農大の応援部で息子さんが活躍しているというお友だちと、本当に喜んでいただけた様子で、当方も楽しいひとときを過ごしました.

 

リーダー、チアリーダー、吹奏楽団のみなさん、一人ひとり思い出がありますが、とてもこの店が好きだといってくれた「菅野美穂」さんとお母さん、忘れられないひとり(ふたり)です。

 

あの日、「ビッグベアーズ」を夢見た少女は、12月7日、応援部吹奏楽団の、第48回定期演奏会の出演を最後に、4年間の活動を終えて、来春、いよいよ卒業してゆきます。

 


2011-11-21 00:00:00

 

私が商社に勤務していた時代の上司、田中厚彦さんが、外国人向けに介護福祉士受検の手引きを作成され、希望者に無料で配布できることとなりました。

 

田中さんは、会社を辞めた後、東洋学園大学教授を勤められました。それから、介護関係のNPO法人を立ち上げ、その活動の一環で、外国人のためにこの手引きをつくりました。

 

これまでも報道されたように、日本は、インドネシアおよびフィリピンと経済連携協定(EPA)を結び、これらの国から多くの介護福祉士の候補者を受け入れています。

かれらは、介護の現場で働きながら、日本での国家試験の合格を目指しています。

 

しかし、日本人でもなかなか難しい介護や医療の用語が、日本語に習熟していない外国人に大きなハンディとなっているのをみて、田中さんはかれらのために受検の手引きを作ろうと企画しました。

 

その作業、打ち合わせは、田中さんと志を同じくする林貞男さん(元神田外語大学講師)、田中さんのお弟子さんの3人により当店で行われ、このガイドブックが完成したものです(中心メンバーにはもうお一人、一瀬智司国際基督教大学名誉教授がおられましたが、出版を前に、2010年4月にお亡くなりになりました)。

 

ガイドブックは、中央法規出版社の「新・介護福祉士養成講座」に準拠していて、健康科学大学の入江多津子教授が監修した、高い水準の内容になっています。

同様の趣旨で「外国人のための「ポケット介護辞典」も作成されましたので、あわせてご利用ください。

 

せっかくの労作を、ひとりでも多くの外国人受験者のために役立ってほしいことから、このHPでご案内いたしました。

必要とされる方は下記、または当店までお問い合わせください。

 

特定非営利活動法人ことぶき住環境ネット

〒165-0033 東京都中野区若宮1-19-13

 TEL 03-3338-9850

          理事長の田中厚彦さんは、平成26年5月にお亡くなりになりました。

          謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

 


2011-11-16 16:39:00

 

大隈講堂前の大銀杏の葉が美しく色づきました。

早稲田祭も無事終了しましたが、

期間中は、当店をご利用いただきまして大変ありがとうございました。

ことしも殺到するお客様に嬉しい悲鳴。

多くのお客様に喜んでいただくことができました。

 

一方で、今年も入っていただけなかったお客様が出てしまいました。

早稲田で、「3つのオレンジへの恋」のオムライスを食べるのを楽しみにされていた方には、

お詫びもうし上げます。

 

残念ながら、「席を空けずの鬼」が出てしまいました。

その日にしか早稲田にこられない方のためにも、混雑時や特別な日には、

時間待ち、長時間のご利用は、くれぐれもご遠慮くださるようお願いいたします。

お疲れもあるでしょうが、席の譲り合いのこころをお願いいたします。

 

なお、お昼前の早めのお時間が比較的空いていますので、

来年からは、召し上がってから早稲田祭をご覧いただくコースがお勧めです。

 

「3つのオレンジへの恋」では、さらに、よりよいオムライスの店を目指したいと思います。

恋するオムライス、これからもよろしくお願いいたします。

 

 


2011-11-14 11:38:00

指揮者、映画監督、プロ野球監督.

男が夢見る3つの仕事だという。

少々前に言われていだが、今でもそうだろうか。

 

まず、プロ野球の監督。

長年にわたり好成績を残しても、、入場者数が伸びない。

監督の人気がないせいだと、契約更新を断られる。

 

V9時代の巨人、川上監督だって「哲のカーテン」をひきサービス精神はまったくなかった。

巨人軍の人気とアンチ巨人組、ON等スター選手の魅力があったから、そのプレー、顔を見たくて

観客は球場に足を運んた。

 

優勝請負人の監督に、いつから人気が必要になったのだろう。

プロ野球の魅力が少なくなったといわれて久しい。

監督のせいだろうか。

 

リーグ優勝したって、翌年に成績不振が続けば、任期途中でアウト。

それどころか、日本シリーズの戦い(負け)次第では即退陣だ。

 

長丁場のペナントレース。

優勝は大変なことのに、優勝だけでは足りない。

そんな難しいことをどうすればよいのか。

あの王さんは、ダイエーが勝てなかった時代にタマゴを投げつけられたが、

怒らないで前向きに考えて、その後につなげることができたそうだ。

人格者の王さんならではで、血の気の多い監督ならけんかになったかもしれない。

 経営者もファンも移り気で気難しい。

 

プロ野球監督など絶対にやるものではない、

 

いよいよ日本シリ-ズ。

ホークスの王さん、悲願の日本一に応援したいし、

落合監督に花を、有終の美も飾ってもらいたいし。

 

 

つぎに映画監督。

俳優やスタッフを使って自分の美学、哲学、人生観を映像で繰り広げる。

うまくいけばアカデミー賞、永遠の名画に。

 

昔は、下済み、助監督からの叩きあげで監督になるのが普通だった。

いまは俳優、タレント、芸人、作家、歌手、誰もが映画監督をする。

やはり、男が「やりたい仕事」なのだ。

 

しかし、「失敗作」となると大きな負債が残るのだろうか。

そちらを心配してしまう。

 

それにしてもBS放送やDVDで見る往年の名画、洋邦問わず、素直に良い。

クラシック音楽といっしょで、映画という芸術ジャンルで、優れた技法はすでに完成し、

出尽くしてしまったようで、これから新たに映画を作るひとは大変だ。

それでも、つぎからつぎに製作される。

飽くなき挑戦にはエールです。

 

 

最後にオーケストラの指揮者。

100人前後の、腕に自信のつわもの相手に、自分の音楽を作りあげなくてはいけない。

団員はみな強烈な自我と音楽観をもち、プライドのかたまりだ。

 

先日、NHK「プロフェッショナル」で、指揮界の巨匠、炎のコバケンこと小林研一郎氏と、

映画監督北野武氏が対面した。

 

少年の日、ベートーベンの第九に感激して作曲家を目指したという小林さん。

その音楽は聴くひとのこころを打つ、世界でも数少ない指揮者です。

バーンスタインやカルロス・クライバーの指揮は、後ろ姿より前から見たいが、

小林さんは後ろ姿で感動させることができるのだから凄い。

 

その練習風景を最上席で聴いたタケシさんがうらやましい。

小林さんの「うなり」がすごかった。

コバケンの「モルダウ」に座頭市が涙していた。

 

タケシさんは小林さんの腰が低いことに驚いていた。

映画監督はもっとえばっているといっていた。

黒澤明は天皇と呼ばれていた。

 

そして、監督は何でもない仕草が、何かしら意味があるんだろうと勝手に思われるといっていた。

会社でもそうだ、偉い役員の所作言動は何か深い意味があるように思ってしまう。

上下、力関係が作用する。

 

指揮はそうはいかない。自分の意図をしっかりと伝えなければ音楽がつくれない。

団員から信頼を得なければオーケストラは動かない。

耳の肥えた聴衆を満足、感動させなければならない。

 

オーケストラ自体に力があるのは明白だから、演奏会の失敗はすべて指揮者の責任である。

指揮者は評判を落とせば仕事は来なくなる。

大勢の聴衆の前で試される。

高レベルの技能集団の命運、評価を一手にあずかっているのだ。

こんな恐ろしい仕事はない。

 

ついでに、こどもの夢のひとつ、大会社、上場会社の社長、会長も止したほうがよいようだ。

ろくでもない事件が続く。

 

ところでオムライス屋さんはどうだろう?

 

 


2011-11-02 16:00:00

 

TBS開局60周年記念という、ドラマ「南極物語」。

テレビドラマを見ることがなくなったわたしも、久々に見ています。

 

私が小学生のころ、小学館の「おもしろ漫画文庫」で、

日本の南極観測の先駆者「白瀬中尉物語」を読み、極地探検の夢が膨らみました。

私は、マンガの白瀬中尉の真似をして、冬でも薄着を続けていた。

そのせいか、あまり風邪をひかない。

 

そして、小学校では捕鯨船の活動を描いた映画が上映された。

最初はモノクロだった。

次の年にはカラー映像になった。

 

捕鯨船の船首に襲いかかり、飲み込み、砕け散る暴風圏の荒波。

南氷洋。極寒の気象の厳しさと、白い世界の美しさ。

 

いまは難しい時代になってしまったが、

捕鯨母船に引き上げられ、さばかれるシロナガスクジラ、マッコウクジラの巨体。

残酷な気もしたが、そのすべてを利用できる、鯨資源の貴重さ、重要さを知りました。

学校給食で出された鯨のカツや竜田揚げの美味しかったこと。

 

その記録映画に登場していた、「マルは」のマークがついたヘリコプター。

丸い風防と長い尾がトンボを連想させる、そのヘリコプターが、

大きな回転音をあげて校庭に飛来した。

先生も生徒も、回転翼による強い風と砂ぼこりを浴びました。

クラスに戻ってみんなで、その絵を描いた。

自分で気に入っていた、ヘリコプターの回転翼の表現は、先生にほめてもらえず、ガッカリ。

 

あの時代、オレンジ色の船体の南極観測船「宗谷」は、未知の大陸、南極の地とともに

こどもにとって憧れと、希望の星でした。

「宗谷」の名前の前にはつねに「南極観測船」という文字。

たとえば「戦艦」というような、「宗谷」がほかとは違う、特別な船であることを思い起こさせてくれるのでした。

 

 

敗戦でうちひしがれていた日本に、勇気と希望を与えようと、挑んだという南極観測。

戦勝国側からは、到達不能の過酷な地での南極観測を許され、

中古船を改造した「宗谷」で、困難に立ち向かったひとびと。

その「宗谷」は、極地航海には決して万全な船ではなかった。

南極行きは、戦地に赴くくような悲壮感を伴ったこともわかった。

 

後に、歌が作られたタロー、ジローの樺太犬の感動的な運命。

その頃には知らなかったことが多く、あらためて追体験しています。

番組の中に出てくるこどもたち、あれは、わたしたちがいた時代。

 

前回の番組では、ブリザードや猛烈な強風により、無線機器が故障。

祈るような気持ちで回復を願ったことでしょう。

 

そして「宗谷」と同様に、耳に馴染んでいた「昭和基地」誕生の様子。

昭和の名がつく施設は多いが、これほど美しく映える名を、ほかに知りません。

 

テンポのよい番組の流れ。

わたしがHPやブログで描いているのは、この時代のことが多いのですから、

なおさら胸が熱くなります。

 

主題歌は、あの、中島みゆきさんだ。

こころの震えに拍車がかかる。

 

当店では、お客様と交換ノートで「交信中」。

「オレンジ基地」からは、HPやブログで情報を発信し続けています。

 

もうじき、「紅白歌合戦」の季節。

南極越冬隊や観測船から、白組にあてて電報が入るのが恒例でした。

「南氷洋の氷は白かった(白勝った)」。

 

当店は言いたい。

「宗谷」は希望のオレンジ色だった!。

 

「3つのオレンジへの恋」は、まだがんばれそうだ。

 

いよいよ明日から早稲田祭。

 

 

(お知らせ)

 ことしの早稲田祭では、学生サークル「マッチワーク」が

10号館2階203号室のコーナーで 「南門通り商店会」のコーナーを出すそうです。

 

当店、想い出の「交換ノート」も何冊か、出品展示される予定です。どうぞ、お運びください。

 

 

 


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