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2011-10-29 10:54:00

昭和30年代、各家庭に電話はまだひかれていなかった。

 

私の家は官舎で、9戸が並んでいたが、たまたま、業務上置かれる一つの電話を、わが家に設置することになり、ほかの家は「呼び出し電話」ということになった。

 

当時、呼び出し電話は普通で、たいていは住所録の電話番号の頭に、「呼」の字を 〇 で囲むか、カッコでくくってある。

ていねいな場合には電話番号にも「誰それ方」がついている。

 

そういえば、中学時代の思い出の少女の家も、呼び出し電話であったのが懐かしい。

呼び出しの電話をかけたことがあったような気がする。

本人が電話口に出てくるまで、とても長く感じる。

意中の女性のときにはドキドキする。

待った挙句に不在のこともある。

 

9軒に一本の電話器、

ほかの家にかかってきた電話を伝えにいかねばならない。

「〇〇さーん(△△さんに)お電話でーす」

「はーい」のやりとり。

取り決めでは、夜7時半か8時くらいまでだったと思うが、うんと遅いこともあった。

 

大変であった。

呼び出し電話は、テレビを見ていても、食事中でも、大雨でも、寒くても、おかまいなし。

当時の東京は雪が多く、足元が悪いことも多かった。、

 

そして玄関先での電話。

こちらは、戸を閉め、テレビを見たり、何かをしているので聞いてなどいないが、

年頃の娘さんが結婚近くなると、男性からの電話が増えるので分るようになりました。

受話器をもった身体を玄関の外に出して話している。

 

私たちよりも10歳以上うえの、大人のその女性は、頻繁に電話が続いた後、稼いでいった。

逆に、女性から男性への電話が続いた後、暫くすると、いっしょに遊んだ年長の男性は結婚して官舎から出ていった。

ほんの少しずつ「人口」が減っていった。

 

結婚により特定の電話は減ったものの、相変わらず呼び出しは続いた。

 

それでも、やがて、各戸が電話をひくようになり、呼び出しの苦役はなくなりました。

 

そのうちに、私も長電話の楽しみ。

どうでもいいことを話していた。

初めは男子のともだちだった。

ダイヤル式の黒い電話で話すのは楽しく、「文明」、「夢と希望」を感じた気がする。

 

そしていま、携帯時代。

ひとりで何台も持つ、小学生の子どもだって持っている時代。

 

しかし、私は携帯をもたない。

幸いなことに、いまは、四六時中、連絡をとらなければならない相手も、用事もない。

 

携帯があれば深まるのかもしれない部分は、分らないでもないのだが。

携帯がないと保てない関係もいやだ。

 

万一のとき、緊急時には困るが、それも運命と思っている。

私は少数派だろうか?。(間違いない!)

 

「3つのオレンジへの恋」が好きなひとは少数派ではありません。

 

 


2011-10-21 13:58:00

仏像の多くは座っています。

立像もありますが、座像のほうが多いのだろうか。

学術データはあるのかもしれません。

 

「3つのオレンジへの恋」という「寺院」を開いて、ほぼ10年近く、

ひとつ悟りを開きました。

それは「ひとは座ると鬼になる」ということです。

 

当店は、「女神や天使がふさわしい店」だと自負していますが、

ときどき「鬼」が出没することがあります。

 

ある「鬼」は、超混雑時に、席に案内すると、

店内の空気も読まないで、

席についた途端、「メニュー!」、「注文!」、「水!」。

もちろん、可能なときにはお応えしているのですが、

超混雑時 には対応できまない。

席への案内は店側の精一杯の「気持ち」。

店主は、「順番に伺いますから、お待ちください。」というしかありません。

 

また、席に座るや「10分以内に食べて出たい!」、

これも「鬼」のひとり。

これは座った途端に、オムライスを食べ始めるという意味に。

たまに、タイミングがよいときには、それが可能なときはありますが。

 

有名ラーメン店が、外で待つ客に予め注文をとっても、座ってすぐには出ません、

あのハンバーガー店だって混んでいれば10分は待つ。

どうかコンビニでパンかおにぎりを買ってください。

 

「席を空けずの鬼」もいます。

「早稲田祭」や、「卒業・入学式」等、大学の行事で

大勢のひとが殺到して、入り口で待っていても

「我関せず」と、お食事が終わっても長々と。

当店の場合、時間の経過を忘れさせてしまう要因もあるのですが。

 

店側でも、声をかけさせていただくことがありますが、

「席を空けて。詰めて」と、なかなか言えない、気が弱い店主には困ったものです。

 

昨年の早稲田祭、どうしても入りたいという女性客に

お応えできず今でも申し訳ない思い。

その日そのときしか来られない方のためにも

「席の譲り合いのこころ」でお願いしたいものです。

 

ときには「小鬼」も出ます。

テーブルをボールペンで傷つけたり、

お客様が楽しみにしている「交換ノート」に

意味のない無駄な落書き。

それを叱らない「親鬼」。

自分の家でやってほしい。

 

一方で、持ち帰り専門店のまえでは、

雨が降ろうが、風が吹こうが、

炎天下であろうが、極寒のなかであろうが、

客は立ったまま待つ。

ニコニコ笑っている。

その姿はまさに「仏様」。

「水」でもなく、「トイレ」でもなく、

立ったまま、ひたすら待つ。

無粋なことは決して云わない。

 

立食パーティでも、「立つと仏様」。

食べるものがなくても、飲みものがなくなっても、

空の皿を前に、空のコップを手に、談笑しています。

 

しかし、ひとたび席につくと「仏は鬼に変わる」のです。

 

私は思うのです。「ひとは座ると鬼になる」ので、仏様はそれを戒めようと、

柔和なおすがたとなって、座しておられるのです。

 

「座っても決して鬼になってはいけません。

かく穏やかであらねばなりません」。

 

座像にはそのような深い意味が込められているのです。

 

間もなく「早稲田祭」がやってきます。

今年も「仏様」、「天使様」、「女神様」が、多数ご来店くださるよう祈っております。

決して「鬼」にはならぬようご注意ください。

慈悲のこころ。

「鬼は外」です。

 

しかし、店主はときには鬼にならねばなりません。

 

(お知らせ)

申し訳ありませんが、10月22日(土)は 臨時のお休み とさせていただきます。


2011-10-19 00:01:00

 

詩人、三好達治は昭和39年に急逝する1年前、

 

「おれは俳人になったらよかったかも知れない。」  

 

友人の石川 淳に、ぽつりとそういったそうです。

それ以上その話をする機会がないまま、三好達治は亡くなってしまった。

 

三好達治と俳句に「かかわり」があったとは、嬉しい気がします。

もし、三好が俳句を作ったらどんな作風になったのか。

その念頭には芭蕉の存在もあったことでしょう。

歴史の「もし」がまたひとつ。

 

三好の年譜によると、三好は昭和24年から亡くなるまで、世田谷区の代田1丁目で間借り生活をしていたそうだ。

 

私が少年時代に住んだ町、ほんの15分も歩けば、三好の散歩姿を見かけていたかもしれなかった。

 

日本人が、戦後最大のできごととして記憶している、

昭和39年の東京オリンピックの年に、

この大詩人は独居している自宅で、狭心症を発病、

半年後の10月に開催されたオリンピックを見ることなく、

4月5日に逝去しました。

享年63歳7ヶ月。

 

三好が代田に移り住んだその年に、私は生まれ、少年期を「隣まち」で過ごしていた。

 

最近になって、三好の本を見直すまで、そんなことは何も知らずに、

偶然に三好達治を俳句と並べて書いたことや、

三好が住んだ同じ時期に、同じエリアに住んでいた、私の少年期。

 

こじつけ気味ではありますが、この孤高の詩人と

「かかわり」があったかと思うと、ふと、嬉しい気に。

 

それにしても、三好達治が東京オリンピックを見られなかったのは、本当にもったいなかった。

この詩人による、オリンピックを讃える詩や文を見たかったと思うのは・・・・。

そして幻の俳句。

 

 

(お知らせ)

10月22日(土) は 申し訳ありませんが、臨時で お休み させていただきます。

 


2011-10-17 18:00:00

ことしのホームカミング デーでは、3号館の工事があり、

 

例年よりキャンパスが狭かったようですが、

 

夏のような天候のなか、多くのOB・OGが母校の景色を楽しみました。

 

当店を毎度ご利用いただきまして、ありがとうございました。

 

なお、今週は 17日(月)と 22日(土) を 臨時で お休み させていただきます。

 

今日のご連絡がおそくなってしまい、

 

まことに申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

 

 

早稲田ギャラリーで開催された、「 幽玄美に魅せられて 今吉淳惠  源氏物語展 」 も

 

本日16日で終了、多くのひとの目をたのしませてくれました。

 

ありがとうございました。

 

今吉先生の新たな作品に、早稲田でまた出会えることを楽しみにしております。

 

 

ホームカミング デーの日の終盤、応援部の演奏が聞こえてきました。

27号館の通路を抜けて正門前へ。

 

大隈講堂を背景に応援部の雄姿。

たなびく校旗。

 

「紺碧の空」が終わり、校歌の演奏に移るところでした。

回りのひとたちは演奏にあわせて歌い始めました。

 

私は歌えず、静かに聞かせてもらいました。

やはりだめでした。

涙が止まりませんでした。

 

 

 


2011-10-13 11:32:00

 

もし、松雄芭蕉が、三好達治が、ふらりとやってきて、「3つのオレンジへの恋」で

オムライスを食べたら、どのように表現してくれただろうか?

 

芭蕉は、神田川 椿山荘の辺りに滞在したり、新宿三光町界隈、花園神社には句碑があり、あながち的外れな空想ではないのです。

そういえば、文豪漱石だってすぐ傍に住んでいたのだ。

 

 

前回のこのHPでは、俳聖、芭蕉翁の名句「荒海や」と、詩人、三好達治の詩集のなかの「雪」という、二行からなる作品のことを書きました。

 

私は、この一句と、たった二行の短い詩文で、5カ所もの記載誤りをしていました!。

 

芭蕉の句で「佐渡によこたふ」と書いてしまったのですが、「横たふ」が正しいものでした、(注、「横たふ」は、角川文庫版「

俳句歳時記 夏 」によったのですが、「よこたふ」とするものもあり、不勉強な小生は、現時点ではどちらが正しいのか不

明です。)

 

この句は、自然を詠みあげただけでなく、権力争いに破れ佐渡が島に流されたひとや、金山での重労働で、荒海のように悲惨な生活に苦しむひとたちへの、いたわりがあったという。

そして、実際には句を詠んだ新潟県の出雲崎から佐渡の方向に、天の川は見えないそうで、あらためて芭蕉の創造力、人間性に感服します。

 

 

また、詩集「測量船」の3番目の詩である「雪」という作品では、「次郎」が正しいのに「二郎」としてしまい、短い文に4ヶ所ある句読点をつけていなかったのでした。(いずれも訂正)

この作品の前後の詩には句読点はないが、詩集「測量船」全体では、詩文に、句読点のあるものと、ないものとが混在しており、配慮が必要でした。

 

私は俳句も詩も学んだことはありませんが、詩人三好の、命を、身を削るような創造の努力、構想のもとに作られている作品の、句読点はもとより、一字一句、配列、余白、スペースに至るまで、天才による緻密な計算がなされているはずです。

 

 

ところが、三好の生前、名門出版社の看板雑誌で、世紀の誤植ともいえる、恐ろしい事態が起きてしまいました。

わたしごときの間違いではありません。

 

筑摩書房版「現代日本文学大系」、「三好達治集」の巻末、評論集に、そのことが記されています。

河盛義好蔵が、「憂国の詩人・三好達治」という」論評を寄せ、三好の「言葉についてのきびしさ」という文章のなか。

 

河盛は雑誌「新潮」の編集の仕事をしていた終戦後の時期、当時、福井に疎開していた三好に詩作を依頼した。

これを受けた三好は、「いく晩も徹夜して、その間食事はとらずに、引き出しからスルメをちぎって食べただけ」であったという。

 

そして、三好が心血をそそいだその作品が「新潮」の昭和21年12月号に掲載されたとき、事件はおきたのです。

 

その詩は、「横笛」という八十一行の長詩であったが、

横笛を吹くさまの音の表現

    

    ふるるひよう

    ひようふよう

    ふひょう

    ひよう

 

この独創的な笛の音色の描写。しかし、三好の原稿の字が達筆すぎて文字の「う」が、何と、「ろ」に見えたために、全編、15ヶ所の表記をすべて「ろ」として印刷してしまたという!。

 

伝統ある文学専門雑誌で、想像するだに恐ろしい、詩の大家の作品の、詩のいのち、核心にかかわる致命的な誤植が起きてしまった。

 

三好はすぐに、河盛と担当者の連名に宛て、速達で、厳重な抗議を行った。それは巻紙に速筆で荒々しく書かれていたそうだ。

関係者を凍りつかせたであろう、激しい怒り、憤りを伝えながら、さすがに大詩人、文人として品格を失わない、みごとな魂の抗議文。

その一部をここに載せます。

 

地上でもっとも言葉を大切にしなければならない人種。

詩人。

三好達治の深い哀しみ。

 

 

「・・・・この作は写音のくりかへしにかなりの重点があり 

それがこともあらうにこのような甚だしき誤植を被っては

作者は天下に偲びがたき恥さらしの極刑を課された如き感にたへません 

 

ひよう(各字横に傍点)がひよろ(同)になったのでは

詩的効果も糸瓜(へちま)もあったものではありません

ひようふひよう(同)  が ひよろふひよろ(同) になったのでは

滑稽とも何とも名状のしやうもないではありませんか 

 

今晩は此上は何も申上げかねます 久しぶりで目から涙が流れました。

 

この作はいささか努力の作のつもり・・・・・小生の原稿の字体もふたしかなりしためならむも

少々心のかよった読み方をして下さればこの惨虐はたしかに避け得られしならむかと存知ます

 

十五ヶ所重ね重ねの誤植 天下の読者はずいぶん滑稽醜悪と感ぜしならむ

唯今黙しえず以上認めました    早々  」  

 

 


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