インフォメーション

2011-05-24 11:21:00

毎年春に発行される「マイルストーンエクスプレス」誌。

発行部数2万7千部という早大生必携の大ベストセラーです。

同誌の飲食店紹介版、当店オープンの2002年版では、歯に衣着せぬ辛口、毒舌を浴びた飲食店の数知れず。

 

幸い、当店は2003年版以来、毎年温かい支持をいただきお世話になっておりますが、今年はついに栄えある1位をいただいてしまいました。

 

同誌の飲食店人気ランキングは、早稲田大学の土地柄、例年、ラーメン店やボリュームのワセめし系が上位を占め、狙い目の違う当店はあまりランキングとは縁がありませんでした。

 

このたび「カフェ、ワセ女編」で「女性客の御用達」という、新たな観点に立った「英断」(独断と偏見という言い方もあり?)により選んでいただいたようです。

 

生まれてこのかた、1位というものには縁がなかったので、少々とまどっていますが、オリンピックの金メダルのように、一生ものとしてありがたくお受けいたしたいと思います。

 

しかし、巷間、よく云われるように、1位にはこれ以上うえがないし、すぐにすべりおちそうな、まことに座り心地の不安定な椅子です。これからは日々、ランクが下がることの心配をすることになりそうです。

 

まだまだ、ランチタイム主体の営業で申し訳ありませんが、これからも一層のお引き立てのほど、よろしくお願い申しあげます。

手作り料理が好評な20名様前後の小パーティーもご利用ください(要予約)。

 

最後にマイルストーン誌の一層の充実・ご発展をお祈り申しあげ、感謝のことばとさせていただきます。

 

(店主敬白)


2011-05-20 12:01:00

今日みえた女子学生が、入り口に飾っている古閑陽子さんの色紙に「日本テレビの古閑さんだ!」と気がついてくれました。

 

「古閑さん、昨日はちょうどこの時間にいらしていたんですよ」。

 

日本テレビを寿退社されて以来、初めて訪ねていただいた古閑さんだったのですが、、一寸忙しくなったお昼どきで、あまりお話できなかったのが残念でした。

 

それでも、 学生時代からの古閑さんとお店のことにふれた、2月1日作成のHPをパソコンの画面でご覧になっていただけてよかったです。

 

古閑さんが出ておられた日本テレビ、早朝のある日、「おは4」で、その日で番組を卒業する女性メンバーが、関係者みなさんに感謝しながら、「古閑さんは日本テレビで一番きれいだと思います」と言って別れを惜しんでいました。

 

早朝の「おは4」は、なかなか毎回は見れずにいたのですが、この日は見ることができよかったと思いました。その女性は、古閑さんの内面の美しさにもずっと感激していたのだと思います。魅力ある女子アナウンサーがいっぱいのテレビ局で、このような言葉を言っていただける古閑さん!。

 

この日はもうひとつうれしい出来事がありました。

 

当店で4年間バイトで働いてくれた、りこちゃんから電話が入りました。いまは仙台市に戻っているりこちゃんやそのご家族のことが気がかりでしたが、停電等不自由ななか、なんとか無事でいるとのことで一安心でした。きっと、いえ、絶対に電話では伺いきれない苦労が山ほどあったと思います。

 

そして、りこちゃんたち仙台市内の高校の恩師、山上先生を囲む同窓会。必ずしも担任でもなく、卒業年次もばらばらの元生徒たちのすばらしい集まり。今年も当店で行われることになりました。

 

開けることに、まずは安堵、感謝です。お元気なみなさんのお顔、今年も楽しみです。

 

 

 

 


2011-05-16 12:01:00

昨夜、NHKのBS放送で英国のケンブリッジ大学の街をとりあげていました。

 

同大学は、大小30のカレッジからなり総称してケンブリッッジ大学というそうです。

 

広々とした美しい緑の敷地を、大学の名の由来となったケム川が流れ、厳しい勉学の合間に思わずつく「ため息の橋」やいくつかの橋がかかっています。

 

川には小船が浮かび水の上から、歴史を偲ばせるレンガや石造りの校舎、大学の風景を見学できます。こんな光景は日本では残念ながら望めません。

 

ノーベル賞受賞者を生んだ教室もありました。たまたまか、それとも日本とは違うのか、インタビューに答えた学生たちは、みんな授業に真剣に取り組んでいる様子が伺えました。

 

ケンブリッジに住む年輩の住人が「ここに1度住むと離れられない魅力がある」と言っていました。

 

その気持ち分かります。私も、早稲田を卒業後も大学の校舎の佇まい、景色が忘れられずに、サラリーマンを勤めた後に、この地に戻ってきたのですから。

 

2002 年4月に苦労の船出。いまは学年でいうと10年生になりました。4年間があっという間のわけです。

 

 店の名前を口にするだけでうれしい、入って食べて、なおうれしい店を、という当初の思いは叶えられたと思います。大学の街という季節変動の大きい難しさも体感しながら。

 

「3つのオレンジへの恋」でオムライスやクレームブリュレをを食べられる幸せ。

英国から来られた女性の先生もこのお店を愛してくれました。

 

そして、早稲田大学と周辺の美しい景色を描き続けた中喜一さん、このお店との出会いがあり、店内には中さんが描き遺された、懐かしい早稲田の風景があります。

 

 

 


2011-05-12 15:49:00

映画史に輝く黒澤明監督と三船敏郎、当時も今もプロ野球界を代表するONの長島茂雄さんと王貞治さん、繰り返し演じられる信長と秀吉あるいは光秀のストーリー。

歴史上のできごとも、日々すべては出会いからはじまります。

美輪明宏さんは、「この世の中に偶然はなく、偶然にみえてもすべては必然なのです」といっていますが、大隈重信と小野梓と高田早苗ら小野7人組の出会いがなければ、さすがに大隈候だけでは早稲田大学がこれほど短期間で立派に誕生しなかったかもしれません。

大隈候が一瞬にしてその人物・能力の優れたるを見出した小野梓。

その小野を支えた高田早苗が、小野と初めて会ったのは、明治14年2月。小野が30歳、高田が22歳、帝大1年のときでした。

高田は帝大で、ある私立学校の創立者の次男と同窓となり、その縁で、そこで英語を教えていました。やがて高田は同窓生の兄の友人と知り合うが、彼が小野梓と懇意であったところから、その紹介により小野に出合ったのでした。

 

高田は「小野さんに会って大いに啓発されるところがあった。その態度、言い廻しは、今まで大学で教授を受けていた先生たちとはすこぶる趣が異なっていたから、忽ちにして小野さんに対する憧憬の念が胸中に充満するようになった」そうです。

大隈候同様に大きな魅力、今のことばでいうカリスマ性、オーラがあったことでしょう。

小野は高田に「自分は政界に身を置いて君たちの知らぬことを多少知っているから、君の友人の中でこれはと思う人があったならば、幾人でも連れてきて週に一度会合し、互いに知識の交換をしよう」といったそうです。

そして、高田は適任者と信じた岡山兼吉、市島謙吉、山田一郎、砂川雄峻、山田喜之助、天野為之の6人を推挙、小野は高田を加えた7人を大隈候に引き合わせました。

高田を加えた7人の侍は皆東大生で、市島のみは政治家を目指すとして卒業の1年前に退学したそうです。

あの時代に帝大に入り前途洋々たる7人が、大隈や小野に触発されて、まだ未知の存在である東京専門学校設立を助け、その後の早稲田大学における教育、運営にも大きな力を発揮することとなったのです。

 

早稲田大学誕生の背景に、もし小野梓なかりせば、もしもこの7人の侍なかりせば。

義兄の紹介により大隈と出会うこととなった小野、そして小野と高田らとの出会い。歴史の偶然、必然のおもしろさと不思議さです。

 

(引用した「早稲田大学80年誌」は、私が在学中に、キャンパスで大学の職員が学生に手渡しをしていたもので、わたしは偶然通りかかり手にしました。すぐ在庫はなくなったようで、職員は戻ってゆきました。)

 


2011-05-06 14:11:00
いよいよ今日から新年度、授業が始まりました。
懐かしいお顔、新しいお顔、年々歳々です。

当店は、早いもので10回目の4月を迎えました。

オープンして数年間、当店の目の前は、旧第一学生会館跡地の更地と早大出版部の古い建物を囲む万年塀でした。

やがて、現在の小野講堂、ロースクールの27号館の建築が始まり、竣工。建学の祖、小野梓の胸像が大隈講堂をまっすぐに見つめるところとなりました。

私は不肖にも小野梓のことは、日本史の教科書の中で、明治時代に「国憲汎論」の著者であることや、大隈重信と立憲改進党を設立したことくらいしか知りませんでした。

しかし、目の前に立派な小野梓記念館ができたいま、元早大生としてあらためて学びました。時間的等制約があるなか、むかし買い求めた書物、大学の刊行物をひも解きブログにまとめました。

そして、小野の人物の立派さに驚愕しました。まだ小野梓のすごさのほんの一部分だけしかみていませんが、「3つのオレンジへの恋」のこのロケーションがなければ、知らないままであったかもしれません。早大出版部も小野梓の仕事のひとつであることも知りました。

当店の目の前は、小野梓と新旧ふたつも縁のある場所でした。これも当店におけるうれしい出会いのひとつです。


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