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2011-04-28 12:32:00
今年は同じ日にうれしい出会いが重なることが多い年です。

3月に早稲田大学教育学部の滝澤先生が初めてみえると、その日に私の都立高校の同級生で県立高校教師を勤めた山田さん(旧姓)がみえました。

4月に入り滝澤先生が再びおみえになり、同じ日に、こんどは高校の1年下の後輩で神奈川県の有数の進学校の先生である駒田さんがみえました。駒田さんは日本史の黒羽清隆先生の影響を強く受け自らも日本史の教師になられたそうです。

滝澤先生から、「美しき天然」という一度聞いたら忘れられないメロディーに関することなどを綴られた冊子をいただき、この曲について多くを学ばせていただきました。いつか、先生の歌声で一度お聞きしたいものです。

駒田先生からは、私たちが1年先に高校を卒業したあと、当時大学から高校まで全国に広がっていた過激な運動により卒業式が中止となり、卒業アルバムもつくられなかったことを聞きました。ユーミンも歌う「卒業写真」。卒業アルバムは大事な青春の記録なのに。わがことのように残念です。

その後の高校の変わりようをお聞きすると、後に高校を去るときに黒羽先生が同窓会報に寄稿されたときのお気持ちの一端が分かった気がしました。

お三方は、黒羽清隆先生を師と仰ぐ八耳文之先生と深いかかわりのある方です。わたしは、ブログに黒羽先生の思い出を書いたのがきっかけで、3月26日に突然八耳先生にお会いさせていただくことになったのです。

八耳先生は、黒羽先生の奥様から遺稿集の編集を任せあられるほどの信頼を得られていた方で、膨大な編集作業の中、突然お父様を亡くされ、茫然自失の状態になられましたが、困難を乗り越えられ、ちょうど1年前の4月に遺稿集「黒羽清隆歴史教育論集」を出版されました。

大隈重信が一瞬にして小野梓の俊傑を見抜いた運命的出会いのように、八耳先生にお会いしてみると黒羽先生と奥様がご信頼された理由がよくわかりました。

今後、先生とともに遺稿集を編集された加藤正彦先生ともお会いできる日を楽しみにしておりますが、貴重な一日、私だけではもったいなく是非クラスの仲間と一緒にお会いしたく思っております。

黒羽清隆先生は、昭和44年からNHKテレビ通信高校講座「日本史」を担当し、高いレベルと魅力ある語りで全国に幅広いファンをつくりました。番組は好評で、放送期間は異例の10年の長きにわたったそうです。

黒羽先生はその後、学芸大付属高校に転じられ、中央大学経済学部講師を経て、静岡大学教授になられ、精力的な教育活動を続けられていました。師の家永三郎先生が絶賛した独創的な着眼点で多くの仕事を残しましたが、まだこれからというときに53歳というお若さで、病に倒れ突然逝去されてしまいました。

黒羽先生が惜しまれて亡くなられてからほぼ四半世紀。八耳先生、加藤先生らの熱心なお力によりまだまだ熱い!黒羽さんです。





2011-04-19 14:19:00
東京6大学野球、いよいよ開幕しました。

日ハム斎藤投手、早慶戦のときのように少々ハラハラしましたが、初勝利おめでとうございます。広島福井投手もおめでとうございます。これから、長いシーズン、「谷」がなければよいが、大石投手も含めてのご活躍期待しています。

先週は、学生の健康診断がありましたが、応援部のみなさんがそのお手伝いしていました。日ごろ目にする華やかなパフォーマンスだけでなく、このような地道な活動もしていることを知り、あらためて好感をもちました。

応援といえば、昨年の春の早慶戦、久々にクラス仲間と応援に出かけ、懐かしい雰囲気に浸りました。仲間のひとりが、一度、3塁側から早稲田の応援を見てみたいものだ、といいました。
たしかに、テレビ中継のように、正面からみてみたい気はします。

その機会は意外と早くやってきました。昨年、秋の大学選手権の決勝戦、いても立ってもいられず、お昼のヤマが終わったところで、神宮球場へ駆けつけました。早稲田の1塁側内野席もネット裏席も札止めで、早稲田側はライト側外野席、内野席であれば3塁側の東海大側になるとのことで、已むを得ず、遠い外野よりはと、近い相手校、東海大の3塁側で観ることにしました。

そして、3塁側から見た早稲田側満員の応援席。見慣れた応援部のパフォーマンスも遠く、風向きも関係するのか、聞こえてくる応援歌が、かつて1塁側から見聞きした慶応側のそれよりも、さらに遠く感じ、テレビで見るアップの画面とはまったく別のものでした。自分が取り残されたようでした。

ゲームは早稲田が少ないチャンスにしぶとく逆転して、初の大学日本一の座に輝いたのですが、私は貴重な教訓を得ました。やはり、応援は、リーダー、チア・リーダー、ブラスバンドのいる早稲田応援部のいる自校席に限ります。



2011-04-14 14:43:00

「こんばんは。こんばんは。もうひとつこんばんわ」

もう40年以上前になります。月曜から土曜、深夜のTBSラジオに、こんな語りかけではじまる、品のよい、かわいいジャズ音楽の番組がありました。

 

その名は「麻梨子アラカルト」、珠玉の番組でした。

 

パーソナリティーは大村まり子さん、という素敵なお姉さまでした。

(まり子さんのお名前の漢字、40年の歳月で不たしかな記憶になっていましたが、このブログを読んだ方のご指摘で思い出しました)

 

いまのNHK「ラジオ深夜便」に通じる優しく包み込むような、麻梨子さんのトークでした。

オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンス、サラ・ボーン等毎回、麻梨子さんの解説と、やさくしきれいな英語の発音によってアーティストや曲名が紹介されました。

 

当時のラジオ東京、いまのTBSラジオの深夜放送、充実していました。

記憶違いかもしれませんが、たしか「夜の停車場」という番組。俳優、清水綋治さんの落ち着いた語りで、番組の始めと終わりに流れるテーマ曲は、歌詞はなく、歌手名もわからないが、透明な歌声の「スキャット」部分だけ。

 

後に、「幻の歌い手」は「由紀さおり」という名で、「夜明けのスキャット」という曲名と歌詞が付けられたこの曲でデビュー。

 

大ヒットしました。当時、高校生、受験生だった私は、ラジオで綺麗なスキャット部分に聞き入っていると、寂しくて、夜のしじまに自分が消え入ってしまいそうな気持ちになりました。

気が付くと空の果てに、自分はもういなくなっているのではないかという、恐怖感にすら襲われたものでした。

 

ほかにも青木小夜子さんの都会的センスのおしゃれなミニ番組や渋い日下武史さんの番組。「大物」大橋巨泉さんもいました。

私は高校に入ると、先生から、卒業生であった久米宏さんが深夜のラジオ番組で、「記念祭」等母校の伝統について熱く語っていると聞きました。

残念ながら久米さんは、私が深夜放送を聴き始めたときには、昼の時間帯に移られていました。

 

そして伝説の番組「パックインミュージック」金曜日 。

 

日替わりのパーソナリティー、当時はディスクジョッキーといっていたおひとり、永六輔さんもお元気で、「美人は生涯で1億円得する」説や、「鯨尺」使用禁止への抗議を熱く語っていました。

 

昭和42年から15年間続いた、毎週金曜日、野沢那智さんと白石冬美さん、「ナチチャココンビ」の「パックインミュージック」は、1週間が待ち遠しかったものです。

 

金曜日だけは、冒頭に流れる日産自動車CMの軽快なマーチが、いつもより長く感じられました。

前部席の三角窓がなくなった「日産ブルーバード」のスマートさが、当時は大きなセールスポイントでした。

受験生時代の私は、この番組で、ことばの並びがおもしろい「たかたか」と「まえたか」という群馬県の名門校の存在を知りました。

 

投書により日本中の高校生、予備校生が、ときには大学生も加わり「我が校こそは」「当地こそ」と、くだらぬことで競っていました。投書子「浦(裏?)船清十郎」は全国にその名をとどろかせていました。

このころ、、フォーククルセイダースの衝撃的な曲「帰って来たヨッパライ」や、爽やかな名曲「青年は荒野をめざす」等フォークのヒット曲に毎週のようにリクエストが入りました。

そのフォークルの加藤和彦さんも逝き、野沢那智さんも昨年72歳で亡くなられてしまいました。

 

95年に63歳でお亡くなりになった城達也さんのFM放送「ジェットストリーム」はムードにあふれ、まるで芸術品のようでした。いつもAMとどちらを聴こうかと悩まされたものです。

 

 DJの先駆者ロイ・ジェームスさん、糸井五郎さん、新進だった土居まさるさんもとうに亡く、スマートだった小島正雄さんも、キザなセリフの高崎一郎さんも、豪快なミッキー安川さんも逝かれ、黒メガネの怪人野末陳平さんは?・・・・・。

 

「ながら族」といわれた団塊世代、ベビーブーム世代と呼ばれたわれ等には寂しいはなしですが、みのもんたさんの活躍ぶりは驚異的(最近の出来事はざんねん)で、そのほかにも聞けば懐かしいDJの名前は一杯です。

 

アナウンサーなど、そのほとんどは「芸名」ではないのだが、DJやパーソナリティの、それぞれのお名前が我々リスナーに、特別な輝きを放っていました。

 

冒頭の大村麻梨子さんには、その番組が終了する最終週に、アイディア・コンペで選ばれた私を含むリスナー6人がTBSスタジオに招かれ、日替わりでひとりひとり出演させていただく栄誉に浴しました。

 

私は、麻梨子さんとの緊張のトークのあと、番組でよく流れた美しい曲「ピアニシモ」を生リクエストさせていただきました。最近は耳にしませんが女性歌手によるとても愛らしい曲です。

その後、麻梨子さんがアメリカに旅立つときには、そのメンバーで羽田空港にお見送りにゆき、御礼のお葉書をいただきました。こころやさしい、気さくなお姉さまでした。

 

赤坂のクラブで麻梨子さんと舟橋ディレクターのご相伴にあずかり、ジャズファンなら垂涎の前田憲男さんとご一緒の席に座らせていただいたのは、麻梨子さん渡米の見送りの日のことでしたか・・・。

 

麻梨子さん、私の怠慢によりやりとりしていた年賀状もいつしか途絶えてしまいました。

船橋ディレクターもお元気かなあ。おふたりにオムライス食べに来ていただきたいなあ。




2011-04-06 11:33:00
6大学野球、華の早慶戦は英国オックスフォードとケンブリッヂ大学のボートレース、米国のハーバードとエール大学のフットボールの試合と並んで、世界学生スポーツの3大イベントといわれているそうです。学生時代から一寸面はゆいと思うこのたとえですが、早慶戦の歴史、毎試合ごとの熱戦には選手と学生・OBの特別の思いがあります。

かつては、世界の3大女優、3大指揮者、3大テノールといった「3大の」文字をよく目にしました。たまたまひとつの時代に傑出したひとが輩出したのでしょうが、最近は目にしなくなりました。

山藤章二さんが、もう随分前、「近頃の政治家は描き手がおもしろく感じる魅力のある顔がいなくなった」と書いていました。一方、プロ野球界では言うのも申し訳ないのですが、「ナイツ」の塙氏の涙ぐましい応援にもかかわらず、巨人軍の選手の顔と名前が、がんばっている生え抜きの選手が、分からなくなって久しいです。見る機会は少ないはずのサッカーの世界に魅力のある顔が増えたと思います。

クラシック音楽ファンのあいだでは有名だったジョークがあります。
3大指揮者といわれたカラヤン、ベーム、バーンスタインが健在だったころ、この3人の中でだれが最高の指揮者か、口論になったそうです。まずベームが「私が1番だ」、続いてバーンスタイン「神様が私が1番だといっていた」と言うと、カラヤンが「私はそんなことは言っていない」。

どの分野にしろ実力、人気を備えた「3大」、「4大」が揃うのは歓迎です。四国、高知の桂浜の龍馬像の横に、中岡慎太郎らを加えて3人にする計画があるそうですが、ここは坂本龍馬がひとり佇む姿でよいと思うのですが。



2011-04-01 14:04:00
4月1日は例年、早稲田大学の入学式でしたが、卒業式に続き中と止なり、静かな街になっています。

新入生のみなさん、おめでとうございます。

「3つのオレンジへの恋」は営業(月~土、11:30~15:00)いたしております。
(申し訳ありませんが、つごうにより臨時のお休みや営業時間変更の場合があります。)

ここ早稲田、会津八一記念博物館の早咲きの桜は葉桜となり、神田川沿いの桜が三分咲きとなりました。

新たな年度が始まります。

あらためてよい年となるよう祈りたいものです。

店主のブログも是非ご覧ください。

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