インフォメーション

2017-08-18 13:43:00

有名人であれ一般人であれ、顔が浮かんでいるのに名前が出てこないのはもどかしいものです。本人を目の前にして、その名前が思い出せていないときには、さらに神経を使います。

 

先日来店された男性客は私より年配ではあるが、おしゃれで黒々した長髪がお似合いの風貌で、よく声のとおる話しぶり。

 

名前を耳にすれば、ああ!あの映画・テレビドラマや演劇の演出家かプロデューサー、脚本家、はたまた大物製作者かと思いましたが、お尋ねするのも失礼かと思って、ついにお名前は伺いませんでした。

 

「紳士」はデミハヤシオムが美味しかったとご機嫌麗しく、自分は早稲田大ではないが、この日は「お話し(講演?)」をするために来られたといい、また来ますよと言って帰られました。とてもフランクでお話し好きの方でした。

 

誰だろう?

暫くの間気になって、大学のイベントだったならば大学の職員さんによほどお聞きしようかと思ったほどでした。

 

「気になり」もようやく落ち着いたところに、その姿写真が突然目に飛び込んできたのです。

「月間Hanada 9月号」を読んでいたときのことで、見まごうこともないあのお顔で軽く微笑んでいる━━それはラジオ ニッポン放送の高嶋秀武アナウンサーについて書かれた記事でした。

 

高嶋さんは現在75歳で、子供の時からラジオのアナウンサーになりたい、とくにスポーツ実況をしたい一心で、明治大学では放送研究会に所属、難関だったニッポン放送に入社されたのでした。

 

幼い頃から大相撲中継が好きでラジオにかじりついていたが、亡くなった父親から初めてアナウンサーという職業があることを教えられて、以来、絶対アナウンサーになると念じたそうです。そんな弟、秀武少年のためにと、成績優秀だった姉は大学進学をあきらめたことも書かれていて、全体がとてもよい記事でした。

 

私が高校に入って受験期を迎えたころ、民放ラジオ局の深夜放送が始まりました。

各局それぞれが個性的な番組作りでしたが、私は「パックインミュージック」が始まるまでの時間帯に、大村麻梨子さんや青木小夜子さんなどセンスのよい珠玉の番組が散りばめられていたTBSラジオ、当時はラジオ東京をメインに聞いていました。

 

「オールナイトニッポン」オープニングの「ビタースイート・サンバ」の軽快なメロディーは、今でも深夜放送の代名詞。

糸居五郎、高崎一郎、ロイ・ジェームス、小島正雄、・・・往年の「ディスクジョッキー」は、その後の歌手や芸人・タレントの世界とは一線を画すもので、語りに風格がありました。ディスクジョッキーは恰好いい「大人の仕事」でした。

FM東京「ジェットストリーム」の城達也は、機長の制服コスチュームを身に着けて放送に臨んだといい、スタジオは文字通りの操縦室となっていたのです。

 

大橋巨泉やミッキー安川、怪人野末陳平もバリバリの現役だった。昨年亡くなられた若き大物、永六輔さんの番組には野坂昭如や五木寛之さんもよく友情出演していて豪華だった。当代きっての売れっ子作家だった、その五木さん自身も自ら深夜放送のDJをつとめていた。早稲田は中退しないと大物になれないと言われた時代でした(野末氏や青島幸男は「卒」)。

 

土居まさるアナを筆頭に、若い局アナはそこに風穴を開け新風を吹き込んだのです。

「ブーブー」「下落合本舗」のTBS林美雄アナウンサーは局アナとは思えないほどおもしろかったし、ニッポン放送アナウンサーの今仁(いまに)哲夫さんも楽しみに聞いていた。

 

高嶋さんは、あの今仁さんが病気休業した際のピンチヒッターで、そのときのことは「今仁のてっちゃん」が聞けなくなった残念さと、後任でインパクトのある「たかしま きよたけ」というフルネームとを憶えています。ピンチヒッターといえば、私の高校の先輩であった久米宏さんが体調を崩して降板した後を継いだのが、「みどりブタ」林美雄さんだったようです。

 

いまではラジオ放送界生き字引のお一人になった高嶋秀武さん・・・同じ時代に放送していたひとと聴いていた私・・・今度見えたらあらためてお話しさせていただこう。

是非また!お待ちしています。

 

(追記1)

私もニュース放送のアナウンサーを夢見て、小学5年のときから放送部に入りました。昼休みの給食時間には、ちょっとワクワクする、片側の壁が放送機器で埋まって、ひとがすれ違えないほど狭い放送室に一人こもり、自分が選曲した曲名を紹介しながらレコードをかけ、夕刻になると「家路」とともに下校の時間を告げて、アナウンサー気分に浸っていたことを思いだしました。

運動会や式典のときにも、校庭を見下ろす校舎2階(?)にあった放送室に入って先生を補佐、ちょっとした大人の気分を味わったものです。

 

昨年、何十年ぶりかで世田谷の多聞小学校を訪れ、新校舎落成式に参列させていただきましたが、広いスタジオに映像機器や照明器具が置かれた放送室は、テレビ局のように立派で、時の流れに感無量でした。

 

(追記2)

高嶋秀武さんは、叔父さんがNHKに勤めていたといい、当時内幸町にあった放送局にちょくちょく遊びに行ったそうです。実は私の叔母がNHKで受付嬢をしていたので、ひょっとすると、「秀武少年」も受付で私の叔母と顔を合わせていたかもしれません。