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2017-03-02 14:50:00

「美味しいという評判を聞いてやってきました」

男女3名の学生は、それぞれ歓声をあげながら「石焼きオム」と、デザートの「ブリュレ」も食べて、大満足でひきあげてゆきました。

一人で来られたご婦人も、「美味しかったです」と言って帰って行かれました。

 

大学入試も終わって、いよいよ3月に入ったこの時期、人の流れは少なくなりますが、お客様の温かい言葉は寒さを吹き飛ばしてくれます。

この時期は就職活動の時期でもあります。

 

━━超がつくノンビリ屋の私は、学生だったとき、「就職活動」というものが始まっていたことを知らず、慌てて回った時には、大手銀行や有名企業のいくつかはすでに採用が終わっていました。「リクルート社」から、分厚い企業案内が贈られてきましたが、大学側が催したであろう「就活セミナー」のことは全く知りませんでした。

 

それでも新3年の春には総合商社に就職が決まっていた、ある夜更けのことでした。

下りの小田急線で帰宅の途上、「占い」の先生に突然話しかけられました。

人気のない車内で、たまたま向かい側の席に座っていたおじさんが、ずっと私を見つめていたのがわかりました。良い気はしなかったが、席を立ったと思ったら、私の隣に座って話し出したのです。

神奈川県央の市に在住していて、全国的に有名な先生なのだそうで、この日も仕事で、たしか愛知県からの帰りだと。

 

その方は、たまたま私の正面に座ったところ、私の周りに見えるものがあったので、教えてあげたいからと言われて驚いた。ふつうなら(おそらく高額な)「見料」をとるので、そのようなことは珍しいのだそうだ。

「お祓い」が必要だと言われたら、気持ち悪くてやっかいなことでしたが、私の周りにいるのは、先祖の霊で、よい霊だとのことで安心しました。

 

幼い頃からこれまで、多くの人に可愛がられ、慕われたように思うが、ご先祖様に見守られていたのかもしれない。

 

しかし、食うか食われるか、人を蹴落とすことも、自分が勝ち抜くうえでは必要な商社で、私は相変わらずのノンビリ屋のお人よし、不器用で要領も悪く、偉くなろうという気などさらさらなく、裏切られたり、ひどい仕打ちを受けたり、「攻撃型人間」のいいカモになったと思う・・・私の至らなさで、「ご先祖様」をもってしても守り切れない「力」は存在した。

 

━━その「占い師」は、私の就職は建設会社が良いと言った。もう一つ二つ職種を言った気がするが憶えていない。

当時、「不動産屋」「土建屋」という呼称がよくつかわれたが良い意味ではなく、私にその気もなく、時期的にももう無理だった。

 

私の商社時代、配属先や、必ずしも男だけではないヒトの運にもめぐまれなかったが、「不動産屋・土建屋」を相手にする営業部門に配属されたときには、「占い師」の言葉を思い出した。

 

土地や建物の売買、建築工事など、高額な財産を扱う仕事。何のしがらみもない社外、外部の人たちが私を信頼し、大切にしてくれた。管理部門から移動してきて早々、幾つか商談がまとまった。

 

自慢するタイプではないが、内心、誰でもできることではないと、手ごたえを感じていました。学生時代には興味がなかった業界でしたが、後々まで「作品」が残る「街づくり・建築物」にロマンを感じました。

 

━━各駅電車で私が先に降りるまで、駅を二つか三つ走る間の、短い時間のことでした。

凄いと思うのですが、ひと目見ただけなのに、「将来は〇〇に注意しなさい」と、健康上のことも言われました。若い盛りだったので、聞いた私に真剣さはありませんでしたが、あのとき聞き直しておけばよかった・・・限られた時間の中で話してくれた「占い師」の言葉・・・突然のことで、緊張もあっていくつかのことを憶えているにすぎません。

 

人生の晩年も困ることはないだろうという言葉を頼りに、「3つのオレンジへの恋」とともに、さらに暫く生きてゆこうと思うのです。

 

(付記)

商社時代のつながりによって、ある女性占い師とのご縁ができました。

家内の友人の主婦や、バイトをした学生などが頼ってよく相談するのですが、「先行き」が怖いくらいに当たってしまいことが多く、「特殊な能力」というものはあるのだと、改めて思います。

 

小田急線で出会ったひとは、「占い師」というよりも「霊能者・超能力者」というべきかもしれません。何も訊くこともなしに、「霊視するだけでわかってしまう」ようで、まさに「黙って座ればピタリと当たる」です。連絡先を教えてくれましたが、怖いようでもありそのままになってしまいました。