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2016-10-13 14:30:00

伊東ゆかりさんの「小指の思い出」(作詞)誕生秘話が放送されていました。

かつて中尾ミエ、園まりとで「スパーク三人娘」と呼ばれたお茶の間の人気者で、少年期にはザ・ピーナツとクレイジーキャッツの「シャボン玉ホリデイ」とともに、この三人娘の番組が楽しみでした。

 

スパーク三人娘のあとには、新しい時代を告げるような西野バレエ団の金井克子・由美かおる・奈美悦子・原田糸子・江見早苗の豪華五人娘が颯爽と登場。男性歌手も橋・舟木・西郷の「御三家」に三田明と、今も歌い継がれる青春の名曲があってなかなか面白い時代でした。

 

三人娘といえば、私の大学時代の天地真理、小柳ルミ子、南沙織の人気はピークに達していて、ほとんどのクラスの卒業アルバムにはこの3人、特に天地真理が登場していたものだった。私は社会人になってから、葉山のヨットハーバーに写真撮影に来ていたうら若きルミ子さんを偶然目の前で見たが、夏の海でキラキラ輝いていたのを思い出す。

 

伊東ゆかりはカンツオーネの聖地・サンレモ音楽祭にも出場して賞を獲得したが、その後泣かず飛ばずになってしまったという。中尾ミエの「可愛いベイビー」や園まりの「逢いたくて逢いたくて」のようなヒット曲がなく、レコード会社やプロダクションが新境地を模索する中、歌謡曲路線に転じることになったそうだ。

 

その記念すべき第一曲目が昭和42年の「小指の思い出」。

作詞の有馬美恵子さんはこれがヒットしなければ郷里に帰るつもりだったといいます。一方で洋楽・オールディーズが好きだった伊東ゆかりはこの曲に全く気乗りがしなかったそうです。

実はその歌詞は川端康成「雪国」の中の駒子と島村の官能的な世界がモチーフになっていたそうです。しかし当時の映像を見ても純情素朴な伊東ゆかりさんが歌うことで、爽やかな青春の曲として、黛ジュン、中村晃子ら和製ポップスの中にあって全く違和感はありませんでした。

 

今でも中尾ミエから「昔からゆかりは暗かった」とからかわれる、伊東ゆかりの代表曲になった「小指の思い出」・・・本人の意図とは違った運命・人生の不思議さです。スパーク三人娘の人気は、中尾ミエ、園まりの順で地味な伊東ゆかりは3番手だったと思います。私の大学時代の同級生は伊東ゆかりが好きだったというと、別の同級生に冷やかされていましたが今では伊東ゆかりが一番と言ってもおかしくなくなりました。

 

「小指の思い出」の作曲者鈴木淳さんは早稲田グリークラブのOBで、八代亜紀やちあきなおみら多くの有名歌手を育て曲を提供、日本音楽家協会の理事長や日本音楽著作権協会の会長を務めた日本音楽界の重鎮です。

 

2012年12月、早稲田にある教会のホールで八代亜紀さんの新曲「追憶の面影橋」のお披露目コンサートが行なわれました。私は稲門グリークラブのご厚意により、すぐ目の前で八代さんの生歌数曲と、デビュー前に住んでいたという早稲田・高田馬場の安アパートの思い出などの楽しいトークも。「追憶の面影橋」と、初めて聴いた八代さんの「神田川」は心に沁みました。「追憶の・・」は「神田川」の数十年後の世界をうたった曲で、すっかり八代亜紀ワールドを堪能させていただきました。

 

その後、「追憶・・」の作曲者鈴木淳さんら稲門グリーのメンバーが当店に見え、OBならではの熟練の歌唱で校歌や「紺碧の空」などを披露してくれました。残念ながらスケジュールの都合により「3つのオレンジへの恋」に来られなかったが八代さんと、鈴木さんの色紙が店頭に飾ってあります。

 

運命の糸のあや・・・私が早稲田で「3つのオレンジへの恋」を始めたことも思えば不思議なことでした。