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2011-05-12 15:49:00

映画史に輝く黒澤明監督と三船敏郎、当時も今もプロ野球界を代表するONの長島茂雄さんと王貞治さん、繰り返し演じられる信長と秀吉あるいは光秀のストーリー。

歴史上のできごとも、日々すべては出会いからはじまります。

美輪明宏さんは、「この世の中に偶然はなく、偶然にみえてもすべては必然なのです」といっていますが、大隈重信と小野梓と高田早苗ら小野7人組の出会いがなければ、さすがに大隈候だけでは早稲田大学がこれほど短期間で立派に誕生しなかったかもしれません。

大隈候が一瞬にしてその人物・能力の優れたるを見出した小野梓。

その小野を支えた高田早苗が、小野と初めて会ったのは、明治14年2月。小野が30歳、高田が22歳、帝大1年のときでした。

高田は帝大で、ある私立学校の創立者の次男と同窓となり、その縁で、そこで英語を教えていました。やがて高田は同窓生の兄の友人と知り合うが、彼が小野梓と懇意であったところから、その紹介により小野に出合ったのでした。

 

高田は「小野さんに会って大いに啓発されるところがあった。その態度、言い廻しは、今まで大学で教授を受けていた先生たちとはすこぶる趣が異なっていたから、忽ちにして小野さんに対する憧憬の念が胸中に充満するようになった」そうです。

大隈候同様に大きな魅力、今のことばでいうカリスマ性、オーラがあったことでしょう。

小野は高田に「自分は政界に身を置いて君たちの知らぬことを多少知っているから、君の友人の中でこれはと思う人があったならば、幾人でも連れてきて週に一度会合し、互いに知識の交換をしよう」といったそうです。

そして、高田は適任者と信じた岡山兼吉、市島謙吉、山田一郎、砂川雄峻、山田喜之助、天野為之の6人を推挙、小野は高田を加えた7人を大隈候に引き合わせました。

高田を加えた7人の侍は皆東大生で、市島のみは政治家を目指すとして卒業の1年前に退学したそうです。

あの時代に帝大に入り前途洋々たる7人が、大隈や小野に触発されて、まだ未知の存在である東京専門学校設立を助け、その後の早稲田大学における教育、運営にも大きな力を発揮することとなったのです。

 

早稲田大学誕生の背景に、もし小野梓なかりせば、もしもこの7人の侍なかりせば。

義兄の紹介により大隈と出会うこととなった小野、そして小野と高田らとの出会い。歴史の偶然、必然のおもしろさと不思議さです。

 

(引用した「早稲田大学80年誌」は、私が在学中に、キャンパスで大学の職員が学生に手渡しをしていたもので、わたしは偶然通りかかり手にしました。すぐ在庫はなくなったようで、職員は戻ってゆきました。)