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2016-05-26 17:42:00

「ミルクをのみましょう」というタイトルの、「ミルク給食のしおり」が出てきました。

 

世田谷区教育委員会が作成したもので、昭和34年4月時点の健康データが載っていることから、その翌年か翌翌年、私が11歳頃の物と思われます。

 

実家が戸建てであったために収納スぺースに恵まれていたのと、母が、私のこども時代のものを大切に取っておいてくれていたため、ほかにも懐かしいものがまだいろいろと出てくると思います。我が「歴史遺産」です。

 

「しおり」は、タテが約15センチ、ヨコ30センチ余りで、コーヒー色の表紙で、三つ折りの両面には文字や写真、図表などを使って「ミルク」の優れた栄養が実にていねいに説明されています。当時の世相や学校給食の一端、こどもの健康状態を知ることができる、けっこう貴重な資料ではないかと思います。ここで言うミルクとは脱脂粉乳ミルクのことです。

 

脱脂粉乳とは牛乳からクリームを分離した残りの脱脂乳を凝縮して、乾燥粉末にしたもので、これを液体乳にしたものは、たんぱく質や乳糖、カルシウム、ビタミンB2などが生牛乳よりも豊富だと、そこに書かれています。

 

給食当番は、なかなか楽しいものでした。

少し早く授業を抜け出せるのもうれしく、それぞれが頭に白い三角巾を被って、小さなエプロンをつけて調理室に向かうと、モワっとした温かな空気が漂ってきます。カレーの日やうどんの日にはすぐにわかります。

 

私が給食で好きだったのは定番のヤキソバ、カレーライス、ウドン、ワンタン、ネットによれば「ソフトめん」と言っていたらしいスパゲティなどで、おかわりができるとうれしかったものだ。クジラ肉のカツや竜田揚げも美味しくて大好きだった。 揚げパンも「主役」のように美味しかったが、後の人気メニューのハンバーグはまだ登場していなかった。なにしろ、昭和44年に入学した早稲田大学学食の定食ハンバーグは、型押しで作られたソーセージのようだったのだから、「マクドナルド」の日本上陸が衝撃だったはずです。

 

一方、学校給食で、不動の不人気N0.1は脱脂粉乳ミルクでした。

「ミルク」とはいうものの、「牛乳」とは別物の独特の匂いと味がして、まるで罰ゲームのようでした。「しおり」には、50~60度の温度だとおいしく飲めるとあります。不味いから最後に飲むと冷めていて最悪で、多くのこどもが初じめに「片付ける」ようになった。バターを加えたり、コーヒー味にしたりと、給食室のおばさんやお姉さんも工夫をしてくれて、少しずつ飲みやすくなったように思いました。

 

当時、美味しくて大好きだった「雪印スキムミルク」も脱脂粉乳だというのですが、その味の差は雲泥どころではありませんでした。戦後間もない当時、脱脂粉乳は、飼料にもならない大量の物資の処理に困ったアメリカから押し付けられたと言われていましたが、「善意の押しつけ」だったのか・・・。

 

「しおり」の写真には、あのころ調理場で見かけたミルクのミキシング器具や温める大きな二重釜、教室まで運ぶポット、金属製のお椀が載っていました。

 

「ミルク」を教室まで運んだ容器は、カレ-やうどんを入れた把手のついた大きな容器であったのか、「しおり」の写真のようなポットであったのか・・・脱脂粉乳のムッとする独特の匂いは、給食調理室の湯気や食べ物の入り混じった匂いとともに、今でも我々世代の記憶に残っています。

 

いま、「3つのオレンジへの恋」では、多くのお客様に「美味しそうな匂い!」と言われ、「美味しい!」{おいしかったね」と、問わず語りに聞こえてきます。

 

それにしても 、都教育委員会の教育長や委員を任命する立場の「舛添君」は一体!

桂歌丸さんにひとこと言ってもらいたい。

「坊や、あんな大人には・・・」