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2016-01-10 17:48:00

「三日とろろ」というものを初めて口にしました。

スーパーの試食コーナーで、ひと口、ふた口いただきましたが、とろろのかかったご飯が、身体に優しく滲みわたってゆくのがわかりました。

 

涙があふれてしまってとても読み進むことができない、東京オリンピックマラソン銅メダリストの円谷幸吉選手が綴った遺書の冒頭に、「三日とろろ」は出てきます。

 

円谷選手の出身地である福島の郷土料理かと、私はずっと思っていましたが、このときの試食コーナーには「三日とろろ」の表示があり、売り子のおばさんが、「昔から、正月三日にとろろを食べると一年間無病息災だと言われています」と言っていた。そうか!そういうことかと、遅ればせながら学んだのでした。

 

正月三が日が過ぎ、八百屋さんや食品コーナーの店頭には「七草粥」のセットが並びました。

こどものころ、母が作ってくれた「七草粥」もまた、身体に優しい食べ物でした。「七草粥セット」などない時代、ときには七草に満たないことや、七草以外の野菜が入っていたこともあっただろう。

 

「紅白」が終わって除夜の鐘が聞こえてくると、母は「年越しそば」を出してくれ、年が明けると今度は早速「お雑煮」を作ってくれる。

菓子のような「おせち」の甘い伊達巻きを目いっぱい食べて、「あべかわ」「黄な粉」「おしるこ」など、モチを飽食三昧した後、「七草粥」の食感は新鮮でした。いまでは特養でお世話になっている、100歳を越えた母も、食べやすいように柔らかくした「七草粥」をいただいたことでしょう。

 

こどものころ、私がお腹を空かして帰ると、母は、ありあわせのものでなんでも作ってくれた。

今頃の時期には乾燥イモが置いてあったが、何もないときには梅干しやたくあんだけのお粥、ゆで上がるのを待ちかねて、まだ温かいのをいくつも頬張ったゆで卵。塩をまぶしただけのおにぎり・・・丸く平たくて、真ん中はいつもやさしくくぼんでいた・・・味噌や醤油をつけた焼きおにぎり・・・。

 

くず粉や片栗粉を水で溶き、砂糖を入れて温めただけの葛湯もごちそうだった。戦時下の不味い食べ物の代名詞のように言われていた「すいとん」も作ってくれたが、珍しく、決して不味いとは思わなかった。「ひもかわ」と母が言っていた「きしめん」、油揚げや鳴門、ほうれん草が入ると一段と豪華になったうどん。手軽な「めんつゆ」などまだなかったが、どれもこれもどんなに美味しかったことか。合成保存料、添加剤の混じらない愛情一杯の健康食品だ。

 

コンビニなどなくても何ひとつ不自由はなかった。

ただひたすら甘えるだけだったこども時代・・・いま思うととても贅沢で、申し訳ない気持ちで一杯です。

 

むかしの家庭のようにていねいに作った優しい味の「3つのオレンジへの恋」は、6日から営業いたしました。

この日初めて「石焼きオム」を召し上がられたお馴染の熟年男性は、最後の一口まで美味しかったと大変ご満悦で絶賛をいただき、、当店もなによりのスタートとなりました。

 

試食させていただいた「三日とろろ」の売り場では、長いもを買わせていただきました。むかし、母が千切りにしたり、おろしてくれたものを食べたとき、口の周りが少しかゆくなったりしたものだった・・・。

 

なお、9日(土)は 申し訳ありませんが お休み させていただきました。

きょうは、早やくも成人式が終わったようです。