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2015-10-10 18:20:00

この度、商工会議所の企画で、市ヶ谷の防衛省を訪問させていただくことがきました。

 これまで入り口や外部からは目にしていましたが、初めて正門をくぐって内部に入ると、思いのほか眺望が開け、広大な敷地が目に入ってきます。

 

整然と佇む庁舎は、最上部の銅葺部分が落ちついた緑青色で、日本古来の伽藍建築、平等院鳳凰堂の景観をイメージしているとのこと。「軍」の施設に伴う厳めしさ、威圧感は感じられず、静謐感すら感じます。

 

記録映画では何度も目にした、極東国際軍事裁判の法廷となった大講堂と建物の一部は移設、復元されて、市ヶ谷記念館となっていました。使用部材は可能なかぎりそのまま利用したという大講堂では、さすがに複雑な思いにとらわれました。

 

昭和天皇がご臨席されたこの大講堂の間には、実に細やかな配慮のもと、設計の巧みが隠されていて、日本建築の技術に感心させられた次第です。

 

東京裁判のときには、連合国側からの指示によって、顔に影を作らないように煌々と強い照明が照らされ、被告席はその熱により大変な暑さであったとのことでした。

 

三島由紀夫が窓の外のバルコニーから檄を飛ばしたあと、自決した東部方面総監室には、三島が軍刀にしつらえなおしたという、名刀関の孫六でつけた刀傷が3ケ所ありましたが、、私にはいまだに生々しくて触れなかった。

 

当時、神奈川県座間市の私の家では毎日新聞をとっていました。神奈川県央地区で配達された第一報の見出しには、まだ「三島氏」という言葉が使われていたが、次の版からは「三島」と敬称が外されていました。

文学作品はもとより、東大バリケード内での過激派・全共闘学生とのバトル討論や、映画「憂国」への出演など、「盾の会」結成からその日の「決行」に至るまで・・・常に耳目を集めていた三島由紀夫の自衛隊突入、割腹、斬首死という衝撃的な事件は、いまなお信じ難い出来事でした。

 

私が、世田谷から座間に引っ越すことになったとき、その地名は戦後生まれの私には聞き慣れないものであったが、この日の説明で、ここ市ヶ谷台にあった陸軍士官学校本科は昭和12年に座間に移り、そのあとに近代史上有名な大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれたとのこと。またひとつ歴史を教えてもらうことができました・・・座間・相武台の士官学校・・・三島由紀夫の小説{春の雪}で目にしたような気がする・・・。

 

市ヶ谷記念館内部では展示品をじっくり見たかったが、見学コースの時間が決められていたため叶わなかった。また、省内の売店では多くのグッズが販売されていたが、時間がなく、早々にレトルトの海軍カレーを買って帰りました。

 

以前に購入しておいた「三島由紀夫全集」の読破に、そろそろ取りかからねば・・・・。

強風青天の秋の日のことでした。